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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

川のそばにつくられた古代の墓地-百留横穴墓群- 福岡県築上郡上毛町百留

福岡県と大分県との県境。山国(やまくに)川の西側(福岡県側)660mほどの地点に、古墳時代につくられたといわれる『百留(ひゃくどみ)横穴墓群』があります。

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場所:福岡県築上郡上毛町百留

座標値:33.546263,131.180752

 

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標高約40m前後の丘陵地に、上の写真のような大きな穴がたくさんあいています。これが横穴墓といわれるもので、この穴のなかに当時なくなったかたの遺体を安置していたと考えられています。

 

横穴墓の数は合計で49基。もともとは46基だけがみつけられていましたが、2006年から2007年におこなわれた教育委員会の調査により3基みつけられ、プラスして49基となりました。その数の多さから地元では「百穴(ひゃっけつ)」とよばれています。

 

この百留横穴墓群はいつごろつくられたのでしょう?『新京築風土記(山内公二著)』P.337では”今からおよそ1400年前の古墳時代に造られた墓”といわれています。1400年前ということは、西暦600年前後ということです。

 

案内板の説明によると…百留横穴墓群の北側に金居塚遺跡があり、この金居塚遺跡のつくられた時代が6世紀後半から7世紀前半(550年~650年)とされ、百留のお墓もこの時代と同時代につくられたと推定する…とあります。

 

西暦200年~600年の間が「古墳時代」とされているため、百留横穴墓群や金居塚遺跡は古墳時代末期のものといえます。

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山国川流域には前記の2つの遺跡のほかに、もうひとつ、上ノ原(うえのはる)横穴墓群もあります。どうもこの山国川流域は古墳時代からヒトの居住には適した場所だったのではないかと考えられます。

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百留横穴墓群からは1600点をこえる副葬品がみつかりました。もともとこれらの穴は土砂によりふさがれていましたが、2006年から2007年におこなわれた発掘調査により、こんなにきれいな状態にまで復元されたそうです(参照:『新京築風土記(山内公二著)』P.337)

 

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 上の図は横穴墓を、横からみた断面図です。玄室という部屋に遺体を安置し、遺体のまわりに装飾品・土器を配置、そして開口部を石などで蓋をしました。ひとつの穴から2人以上の遺体が発見され追葬(ついそう)がおこなわれたこともわかっています。現在の日本のお墓とおなじシステムで葬儀がおこなわれていたのですね。

 

百留横穴墓群がある丘陵地のいちばん北側に自動車が数台とめられる駐車場があります。この駐車場に近い場所から南側へいくにつれて横穴墓の穴の大きさがちいさくなっています。

 

いちばん北側の穴は、横穴墓のなかでもいちばん巨大で、大人がややかがむくらいで穴のなかにはいれるほどです。

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 横穴墓の中央部の1号墓と2号墓には、赤色顔料(ベンガラ)による同心円文の彩色があるとのことです(参照:案内板)。おそらく↑上の写真の穴が1号墓と予想されます。同心円文とはききなれない言葉なので調べてみると下の図のような模様のことのようです。

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同様の同心円文の彩色が、福岡県うきは市の日岡古墳にみられます。

 

↓この穴は駐車場にいちばん近い…つまり一番北側の横穴墓です。もうそのほとんどが崩れおちてしまっています。

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そして、こちらが↓崩落をまぬがれている、一番大きい横穴墓です。右側の墓の前には祭壇がもうけられ、花がそなえられています。右側の穴が1号墓、左側が2号墓とおもわれます。

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↓2号墓を拡大したものです。

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↓その他の横穴墓です。開口部がきれいに四角く整えられています。

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↓穴の中に分岐がみられるものもあります。

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横穴墓の大部分が丘陵地の東側(大分県側)に開口していました↓

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↓こちらは丘陵地の西側に掘られた横穴墓群です。

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↓かなり地面すれすれの部分に穴があるようです。もしかしたら、もともとはもっと丘陵の高い箇所にあったものが、土砂にうもれたためにこのような形になったのかもしれません。

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