北九州市小倉南区長行(おさゆき)東には県道63号線がはしっています。その県道のすぐとなり、長行2丁目ふきんに、地蔵菩薩が数体まつられる広場があります。この広場に、”この場所にはふつりあいなんじゃないか”と感じられる巨大な岩がよこたわっています。
場所:福岡県北九州市小倉南区長行(おさゆき)東
座標値:33.819781,130.859284
この岩はなんなのでしょう?この岩には以下のような伝承があります。
江戸時代のはじめごろ、小倉城築城の際に石垣を築くためにこの大岩を差し出しましたが、蒲生(がもう;北九州市小倉南区の地名)の里まできたときに、大岩が動かなくなりました。さらに、村人たちは熱がでたり、腰がぬけたりし、そのうえ夜になると大岩が泣くために、ついには森へ帰ることを許された(参照:北九州歴史散歩 豊前編P145)
こちらの伝承からこの巨岩は「泣き石」と呼ばれています。泣き石がある長行(おさゆき)という地区にはたくさんの古墳がのこっています。実は、この泣き石は古墳の一部をなしていた岩です。
”埋葬地をかこうように基礎の支石がしかれ、その上に巨大な石を載せる”という形式のお墓は支石暮(しせきぼ)、またはケルト語だとドルメンと呼ばれています参照:Wikipedia-支石墓。支石墓の上に載せていた石が、この泣き石です。
下の写真の支石墓だと、上にのった平な石にあたるのが「泣き石」なのですね。(↓Wikipedia-支石墓より引用 ©2012 Poulnabrone Dolmen by Kglavin)
でもどうして、こんな場所に支石墓(しせきぼ)の一部をなす石がころがっているのでしょう?小倉南区の長行(おさゆき)という場所には、たくさんの古墳があり、そんなたくさんの古墳のうちのひとつが、泣き石というかたちで残っているのではないかと考えられます。
泣き石の場所と、その周囲にある古墳の位置関係を以下にしめしてみたいと思います。まずは泣き石の場所です↓
泣き石の北西約480mの場所に八旗(やはた)八幡宮があり、ここに3つの円墳がのこっています(↑)
また泣き石の北側約610mの位置には祇園八幡宮があり、ここに祇園八幡神社古墳群があります(↑)ここでは5基の古墳が現存します参照。
さらに祇園八幡古墳群のすぐそば…県道63号線をはさんで反対側にスサノオ古墳があります。スサノオ古墳のすぐ北側にミニストップがありますが、この場所にもむかし3つ古墳があったといいます(参照:北九州歴史散歩 豊前編P145)
以上の古墳にプラスして、今回の記事でご紹介した泣き石を古墳として数えるなら、半径500m程度の範囲内で、13基の古墳があった(現存もする)ということがわかります。
スサノオ古墳とか、八旗八幡宮とか、祇園八幡神社古墳群はまだいったことがないので、いずれ実際に足をはこんでみれたらなぁと思います。