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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

山のうえの戦争史跡 福岡県北九州市門司区大字大里

福岡県北九州市門司区の大里(だいり)という場所に、矢筈山(やはずやま)という標高266mの山があります。この山頂に明治時代につくられた戦争史跡がのこされていると聞き、いってみることにしました。

 

その戦争史跡とは、敵が関門海峡に侵入してくるのをふせぐ砲台と、軍事倉庫の跡です。「矢筈山堡塁跡(やはずやまほるいあと)」として、『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.30-31に紹介されています。

 

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場所:福岡県北九州市門司区大字大里

座標値:33.915027,130.951396

 

↑上の写真は軍事用の倉庫跡です。矢筈山の山頂から南南東へ約95m地点でみることができます。キャンプ場の敷地内であり、わたしがここへいったときは、キャンプ利用者がおられたためじっくりと見学することはひかえました。

 

おそらく、書籍に砲台台座跡は書籍に紹介されていたので、この倉庫跡以外に砲台の台座跡が周囲にあると考えられます。

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矢筈山山頂までは車でくることはできないので、山のふもとにある駐車場(地点:33.919534,130.949245)に車をとめ歩いてのぼってくる必要があります。整備され歩きやすい登山道を約30分かけてのぼってくる途中、「こんな山の上から砲撃して、関門海峡まで弾がとどくのか?」という疑問がうかびました。

 

そこで↓こちらのサイトを参照させていただき、矢筈山の山頂に設置されていた砲台がどんな種類なのかを調べてみました。

 

http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/smfzfile/smfz.moji.html

 

このサイトによると矢筈山の山頂に設置された砲台の種類は…

①15糎榴弾砲…6門

②9糎臼砲…4門

…です。それぞれの飛距離はWikipediaで紹介されています。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%85%AD%E5%BC%8F%E5%8D%81%E4%BA%94%E7%B3%8E%E6%A6%B4%E5%BC%BE%E7%A0%B2

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E7%B3%8E%E8%87%BC%E7%A0%B2

 

①の飛距離が約12㎞、②の飛距離が約4.1kmです。f:id:regenerationderhydra:20201212121958j:plain

現在の地形図ですが、矢筈山山頂から関門海峡の中央部までの直線距離をはかってみると約2㎞であることがわかります。ということは関門海峡を通るすべての船は、じゅうぶんに射程内にはいっていることがわかります。

 

砲弾がこんなにも飛距離があるとはしりませんでした。おそらくこれらの倉庫跡は、そんな砲弾なども保管する施設であったことが想像されます。 

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矢筈山のふもとから山頂までは、車がとおれないように柵がされていますが、くねくねとした砂利道がつづいています。人がとおるための登山道はそれとは別にわかれています。砂利道を選んでも、人のとおれる登山道をえらんでも山頂まではたどりつけます。

 

これだけの施設に物資を保管するには、大量の物資を車両により運んでくる必要があったと考えられます。そのため、この砂利道は軍用道であったことがわかります。

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倉庫の入口をみてみると、現在は扉はかんたんな錠前でカギがかけられています。いちぶがキャンプの施設として利用されているそうです。上の写真をさらによくみると扉の両側に4つなにか設置されていたような穴があいています。

 

もしかしたら、大きな”かんぬき錠”が二本設置されていた跡なのではないでしょうか。

 

矢筈山堡塁跡がつくられはじめたのが、明治20年代(1887年ごろ)といわれます。そして一般のひとがはいることができるようになったのが第二次世界大戦がおわった昭和20年(1945年)です。戦争がおわるまでの期間は機密をまもるために、矢筈山だけでなく下関・門司一帯において写真撮影やスケッチが制限されていたそうです。

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当時よく使用されていた建材であったレンガで、壕の入口周囲がかためられています。レンガの周囲はがっしりとした石で壕をかためています。レンガや石には苔がうっすらと生え、ややすすけているような印象をもちます。当時のものものしさがつたわってくる感じがします。