地蔵寺というお寺にまつられていた石殿をご紹介します。左右一対として室町時代につくられたとされています。
場所:大分県杵築市大田石丸
座標値:33.490874,131.560787
「地蔵寺石殿→」と書かれた看板が農道わきにたてられていたので、立ち寄ってみることにしました。看板の場所座標値:33.490521,131.561290
看板には50mとかかれており、歩いて5分もかからず石殿をみつけることができました。
二段の基礎があり、基礎のうえに長方形の軸部があります。そして軸部の上に入母屋(いりもや)の屋根がついています。基礎二段ともに空洞になっています。
軸部は、正面に十王像三基、右側面に二基、左側面には地蔵座像が半肉彫りでほられている…と案内板には記されています。
↓下の写真は、上の写真とは別のもう一基の石殿(正面と右側面)です。案内板の内容から推察すると、↓下の写真の右側面に一基刻まれているのは奪衣婆(だつえば)と考えられます。
十王は死後の世界である冥土(めいど)で死者の生前の罪業を裁く十人の王で閻魔(えんま)を含めて「十王の信仰」が中国から伝えられた参照
十王像については、生前のおこないを裁くものを表しており、また”三途の川で亡者の衣をはぎ取る”奪衣婆(だつえば)が刻まれていることから、この石殿が人の死後の世界への”入り口”をあらわしているのではないかと想像されます。
二対あるのは、この石殿の間を人が通り、そのときに生きている間のおこないを裁いてもらう…という意味をもたせていたのではないでしょうか。