『北九州市史(民俗)』P.566から「稲荷信仰」という項がはじまり、その項のなかに明石(めいせき)稲荷が紹介されていました。明石稲荷は北九州市戸畑区の菅原神社境内に合祀されています。この稲荷様は、もともと菅原神社境内ではなく、菅原神社から南東500mほどの地点にある尼堤という地区にあったそうです。
(明石めいせき稲荷は)もとは尼堤(現観音寺町の一角)の田の畔あぜにまつってあったもので、歯のうずきを止めるご利益があると信仰されていた。
明石稲荷は下の写真のように二基の木製祠にまつられていました↓
場所:福岡県北九州市戸畑区菅原
座標値:33.885692,130.828089
↓こちらが菅原神社です。菅原2号線という名前の道路沿いにあり、鳥居のすぐまえに西鉄バスの停留所「菅原神社前」があります。
菅原神社本殿の右奥に二基の木製祠がまつられています↓ この木製祠のなかにたくさんの稲荷像がまつられているため、これが明石稲荷のようです。
北九州市史(民俗)P.567には、稲荷信仰についてさらにのべられています。その内容をかいつまんでご紹介します。
この明石稲荷がまつられていた周辺(天籟寺てんらいじ)には、もともとキツネがおおい場所であったらしく、まわりの丘陵地の谷口には狐穴がおおくみられました。明治時代は、農業をやっていたひとが畑から牛とともに家に帰るとき、あとから狐がついてくることがめずらしくなかったといいます。
そんな身近な狐であったため、餌をあたえてまわる宗教行事がありました。「ノーセンギョウ(野施行)」といったそうです。
ノーセンギョウでは、あずき飯に油あげを添えて狐穴の入り口においてまわりました。
大正時代から昭和のはじめにかけては「おセキさん」という野狐使いがおり、「おセキさん」を中心にノーセンギョウをして歩きました。
現在の戸畑区菅原の周辺は住宅街となっており、車通りも多く、野狐がいたという名残はありません。