長年、大分県の国東半島(くにさきはんとう)で、庚申塔(こうしんとう)を調査し続けている小林幸弘氏。その小林幸弘氏が運営されているホームページ「国東半島の庚申塔」を拝読し、大分県杵築市(きつきし)の馬場尾という地区に庚申塔を探しに、少し前に、行ってみました。
その場所とは杵築市馬場尾白水の「善神王社」です。
場所:大分県杵築市大字馬場尾
座標値:33.426217,131.604639
善神王社の庚申塔が紹介されているページはこちら↓です。
http://5884koshinto.my.coocan.jp/n100sen/21019.html
神社の入口は↑上の写真のように、民家のすぐ隣にあります。鳥居の先は、うっそうとした杜へと続きます。
杜のなかの砂利道を120mほど進むと、目的地となる善神王社がみえてきます。
善神王社の拝殿を正面にすると、左手側奥に石塔群が並んでいます。
これらのなかに3基、庚申塔と思われる石塔が見つかりました。その3基の庚申塔のうち1基が、HP「国東半島の庚申塔」に紹介されている「自撰庚申塔100選」のなかの、「(49) 21019」の庚申塔でした。
一面四臂(いちめんよんぴ;一つの顔に四つの腕)の青面金剛が主尊です。青面金剛の両脇足元には頭を丸めた童子と思われる像が2基刻まれています。青面金剛と童子の区画とはまた別の下段の区画に、二鶏と二猿が刻まれます。
庚申塔に向かって右側面に建立年月の銘が刻まれています。これによると「元禄六壬酉十一月廿一日」と刻まれているようです。元禄6年は西暦1693年。その年の干支(かんし)は、「癸酉(みずのととり)」です。
「元禄六壬酉十一月廿一日」の銘「壬(みずのえ)酉(とり)」と、元禄6年の干支である「癸酉(みずのととり)」とが整合しません。もしかしたら「壬酉」と「癸酉」とを間違えて刻んだのかもしれません。元禄6年の干支は「癸酉(みずのととり)」です。
この庚申塔の建立年月をまとめてみると、1693年11月21日と考えられます。
善神王神社の境内には、この庚申塔のほかに、さらに2基の青面金剛像の庚申塔と、1基の文字塔が確認できました。↓こちらの写真では、今回ご紹介した庚申塔が一番右側です。その左側に3基の庚申塔が見られます。
今回アップした写真はスマートホンで撮影しました。写真を撮っている間は、スマートホンでも、一眼レフでも撮った写真にあまり違いはないのでは…と思っていました。しかし、写真を見やすく加工したり、トリミングして拡大したりすると、スマホ写真の解像度の低さに四苦八苦してしまいました。
記録目的の写真であったとしても、できるだけ一眼レフでの撮影を、今後は心がけてみたいと感じました。