大分県国東半島に祀られる庚申塔のご紹介です。前回の記事(2019年12月22日:庚申塔成熟期に造られた十王堂庚申塔 大分県国東市国東町原)で、国東町の原という地区にある十王堂にまつられる庚申塔を、一基、ご紹介しました。
十王堂の敷地内には、もう一基庚申塔が祀られていました。こちらです↓
場所:大分県国東市国東町原
座標値:33.5649383,131.7104363
青面金剛が主尊で、その両側に二童子がひかえます。二童子と青面金剛の足元には三猿と、二鶏が刻まれています。さらに塔の一番下側には8名の庚申講メンバーの名前が刻まれています。
風化がすすんでいるうえに、庚申塔が半分あたりで折られており、それを修復しているようです。「宝永」という文字と、その下に「酉巳天」らしき文字が見えます。何と刻まれているのでしょう?
宝永は八年まであり、そのなかで酉巳という干支はありません。ということは別の文字かもしれません。「酉」という文字は確実に刻まれているようですが、「巳」は本当に「巳」と刻まれているのかあやしいです。
「巳」に似た文字は「乙」があります。「乙」だと、宝永二年の干支で「乙酉(きのととり)」があります。もし「乙酉」という文字で合っていれば、この庚申塔は宝永二年(1705年)に造られたことになります。
こちらの日付も風化がすすみ読み取りにくくなっています。「六」とも「一」とも読み取れる文字の下に「月」があります。半分に折られた箇所の下側にも何か刻まれているのはわかりますが、読み取れるのは「日」のみでした。
前回に引き続き、国東町 原地区にある二基の庚申塔のご紹介でした。