1507年頃に建てられたという、凌雲寺(りょううんじ)。いつ廃寺となったのかは不明。境内跡にはほとんど何も残っておらず、広い原っぱが広がっていました。しかし、ゆいいつ境内跡の南端に、東西に沿って長い石垣があり、それが、凌雲寺があったという証明となっていました。この石垣が凌雲寺の惣門(そうもん:表門のこと)です。
場所:山口県山口市中尾
座標値:34.198333,131.436222
境内跡は山の麓の農村地区に残されていて、周囲はのどかな田園風景が広がっていました。凌雲寺跡専用の広い駐車場が完備。ここに車を停め、歩いて境内跡がある台地へと登って行きます。
台地を登りきった場所に、大内義興(おおうちよしおき)氏が弔らわれているというお墓…宝塔と、案内板があります。戦国武将である義興氏の菩提寺(ぼだいじ)が、凌雲寺なのですね。
案内板からさらに、南へ歩を5分ほど進めます。田んぼのあぜ道を歩くような印象です。歩いた先に、凌雲寺のメインとなる遺構…石が積まれてできた惣門(そうもん)が建っています。横の長さは約60m、高さは3m、幅が2mです。
惣門は、大きく崩れている場所もあります。惣門の横から、その断面を眺めてみると、大きな石が何層にも積み重ねられているのがわかります。この頑強なつくりは、門というよりも城壁のような印象を受けます。
凌雲寺がつくられたのが1507年で、日本は室町時代です。戦国時代とよばれる期間でもあります。見晴らしのいい丘の上で、このような石造りの頑強な塀がつくられているということは、凌雲寺はお城としての機能も、もしかしたらもっていたのかもしれません。