広島県の教龍寺(広島県廿日市市吉和)に保管されているお寺の鐘が、もともと福岡県の千手寺にあった…という記事を前回、ご紹介しました(参照)。そのお寺の鐘というのが、「教龍寺銅鐘」です。
そして、その「教龍寺銅鐘」がもともとあった福岡県遠賀郡の千手寺が、いったい、むかしどこにあったのか?を調べるところまで、前回の記事にアップしました。
前回の記事では、福岡県遠賀郡岡垣町の黒山にある、岩崎真澄氏宅の裏に千手寺があった…というところまで行きつきました。
↑この地形がある場所が、『増補改訂版 岡垣小史』P218によると、遠賀郡岡垣町の西黒山という地区だということです。図書館に保管されているゼンリン地図で西黒山付近を調べてみました。すると、このあたりであることがわかりました(地形図)↓
西黒山交差点の座標値:33.867123,130.621755(Google map)
調べてみると、この西黒山の集落では「岩崎」姓のかたがたがたくさんおられました。しかし、ゼンリンの地図では「岩崎しのぶ」という名前のお宅はみあたらなく、これ以上詳細な千手寺の場所を特定することができませんでした。
ただ、『岡垣小史』P218の情報のなかに、”岩崎しのぶさんの家の横に道をつけて砂採りがされている”とあります。砂採りがされている場所…というのは?Google mapの衛星写真をみると、西黒山地区の東側に土を採取している場所があるようです↓
この現場ふきんのお宅のなかに、岩崎しのぶ氏のお宅があると推定すると、破線の白丸で囲った場所に、千手寺があったと予想されます。
『岡垣小史』P218の情報を、確認のために箇条書きでまとめてみますと以下のようになります。
・岩崎しのぶ氏宅の西側 台地上に千手寺があった
・千手寺の南側に岩崎真澄氏宅があった
・千手寺の北側に不動様が祀られていた
・不動様は現在、春日神社に移動され祀られている
衛星写真「千手寺跡 推定値」をもういちど見ていただくと、春日神社というのが、白丸で囲った箇所の南側にあることがわかります。千手寺の北側に祀られていた不動様が、祀られる場所がなくなったため、すぐ近くの神社へ移動させられた…ということは合点がいきます。
千手寺があった場所を完全に特定できたわけではありませんが、おおよその場所を推定できたのでスッキリとしました。
広島県での「教龍寺銅鐘」との出会いからはじまり(参照)、今回の千手寺跡の推定まで、長い関わりとなりました。
620年以上も前に造られた鐘が、造られた場所から150㎞も離れた場所でひっそりと保管されているのは、なんとも不思議な感じをおこさせます。