福岡県直方(のおがた)市にある直方駅から、福岡県田川市の田川伊田駅に鉄道が伸びています。その鉄道は、伊田線(いたせん)と呼ばれます。
伊田線には現在(2019年5月)、直方側からみて8番目の駅に赤池駅があります。
鉄道の駅をつくるには好条件だった赤池地区
赤池駅は、福岡県田川郡福智町の赤池という地区にあります。赤池という地区には炭坑があったことと、ふたつの川の合流地点にあったこともあり、鉄道の駅をつくるには好条件でした。
どうして、ふたつの川の合流地点だと、駅をつくるには好条件なのか?筑豊興業鉄道会社が、福岡県内の石炭を運ぶための鉄道を敷く前までは、石炭は「かわひらた」という船で運んでいました。
下の模式図を参照すると、赤池付近では彦山川と中元寺川とが合流しています。これらの川が合流すると、さらに川幅は広くなります。
ふたつの川が合流する手前までは、大きな「かわひらた」船は使えず、小型の船を使って石炭を運んでいたそうです。
赤池地点で、小型の「かわひらた」から、大型の「かわひらた」へ石炭が積みかえられていました。赤池地区は石炭が各所(中元寺川上流域、彦山川上流域、赤池炭鉱)から集まってくる場所だったのですね。
そのため、ここ赤池に鉄道の駅をつくれば、船ではなく鉄道を使って石炭を効率よく運ぶことができるようになると考えられました。
↑中元寺川と合流するまえの彦山川 「かわひらた」行き来していたのでしょう
「かわひらた」の船頭が困った
赤池に駅がつくられ、鉄道で石炭が運ばれるようになったら…困ったのは「かわひらた」の船頭さんたちです。それまで、仕事に困ることがなかったのに、鉄道ができればいっぺんに仕事がなくなってしまいます。
そのため、船頭さんだけでなく料理屋さんなど、赤池地区の住民から反対運動がおこりました。明治20年代のことです。
鉄道が発展している時代に生きている、わたしたちからみると、鉄道の駅をつくってもらったほうが、地元が潤うのに…と想像ができます。しかし、鉄道が走り始めた当時は、そのような想像をするのが、まだ難しかったのかもしれません。
反対運動の結果 駅は赤池ではなく近くの町にできた
赤池では駅建設の反対運動がおきたので、筑豊興業鉄道は困り、赤池から南東へ約1.2㎞ほどいった金田(かなだ)という場所に、駅を建設することにしました。金田駅が完成し、直方-金田間が開通したのが1893年(明治26年)です。
これで、赤池のひとたちは安心したのですが、この結果からも想像ができるように、今後発展していくのが金田(かなだ)の町となります。
中元寺川上流、彦山川上流から運んできていた石炭は、「便利がいい」ので、今度は金田駅へもっていかれるようになりました。石炭が金田駅で貨物列車に積み替えられ、直通で直方方面へと運ばれました。当然、「かわひらた」は赤池までは来なくなりました。
↑現在の金田駅。建設された当時は、筑豊興業鉄道が経営していましたが、いまは平成筑豊鉄道が経営しています。炭坑が閉山してしまったので、石炭産業全盛時代の活気はなくなったと考えられます。金田駅の構内はとてもひろく、平成筑豊鉄道の車両基地となっているそうです(参照:九州の鉄道おもしろ史P382)
のちに赤池駅もつくられた
現在の伊田線(いたせん)の路線図をみてみると、赤池駅はちゃんとあります。赤池駅はいつつくられたのでしょう?『九州の鉄道おもしろ史』P382では、1937年(昭和12年)6月25日となっています。この年に赤池駅は旅客駅として開業したようです(参照:赤池駅 (福岡県) - Wikipedia)
ウィキペディアでさらに調べると、赤池駅自体は、1904年(明治37年)4月1日につくられたようです。駅づくりを拒否した明治20年代から10年ほど経過した時期です。1904年の駅建設は、石炭を積み込むための炭坑駅としての開業だったようです。
↓現在の赤池駅はこのような駅舎となっています。1日の平均乗降人数が300人弱(2015年度)の無人駅です。駅前の道路は、ぽつりぽつりと車が通る程度で、人通りも少なく、やや寂しい印象を受けました。
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福岡県の近代の歴史は、石炭産業の発展と深くかかわりがあることがわかってきました。さらに石炭産業の発展は、各所へのびる鉄道の発展ともつながります。福岡の近代の歴史を調べてゆくと、思いもよらないところに、昔は鉄道がはしっていたのだという発見があります。
徐々に興味がわいてきた鉄道について、さらに発見できたことがアップできたらと思います。
【参照した書籍】