まだ大分県の豊後高田市にすんでいたころ、国東半島を巡り、いろいろな石仏や史跡を巡っていました。その当時、なにかのきっかけで国東市国東町に「イボ地蔵」と呼ばれるお地蔵様があるという情報を得ることができました。
たしか、国東市の情報を掲載したパンフレットか、なにかがその情報源でありました。(なにが情報源であったのかさえ忘れてしまいました)。イボ地蔵があることはわかるのですが、祀られている場所がざっくりとしか掲載されていない地図を見た覚えがあります。
そのざっくりとした地図を片手に国東町の川原という地区を、数年前に探し回っていました。探し回ったにもかかわらず、結局、その当時は見つけられませんでした。
2019年4月20日、国東半島を訪れたとき、国東半島をはしる県道29号線を車で通っているとき、たまたま「イボ地蔵尊」のノボリをみかけることができました。ノボリのすぐ傍に、大きな岩に刻まれるイボ地蔵を見つけることができました。
場所:大分県国東市国東町川原
座標値:33.570257,131.702855
国東町川原にあるイボ地蔵の詳しい云われはわかりませんが、おそらく全国にある「おまいりすると体にできたイボをとってくれるお地蔵さま」であると考えられます。
目測ですが、大人が両手をひろげて4~5人でかかえこむほどの、大きな岩の表面に地蔵尊が刻まれています。
イボ地蔵尊はどんな彫られ方をしている?
地蔵尊は両足の甲部分を、太ももの上に乗せる足の組み方をしているように見えます。
・交差させる→結(けつ)
・反対のあしの太ももに乗せる→跏(か)
・足の甲の部分→趺(ふ)
・座る→座(ざ)
…という意味で、このイボ地蔵尊は、結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる足の組み方をしていると思われます。
ふとももの上で結ばれた手の形は、細かい部分までは不明瞭となっています。指の形がはっきりとはわかりませんが、手指を伸ばしていて、手のひらを上に向けていることがわかります。このような手の形をして、印を結んでいる仏像をみかけることがあります。
手の形にどんな種類があるのか気になり、調べてみました。手の形によって定印、説法印、來迎印とおおきく3つに分けられ、それぞれの印でさらに3つにわかれているようです。だから合わせて9つの印の結び方があるようです。
イボ地蔵尊の手の形は、「定印(じょういん)」と呼ばれる印であることがわかります(参照)。造られている仏像の種類によって、手の印のむすびかたを分けているようです。
顔の表情はかすかにわかる程度。両目をつぶりおだやかな表情をしているようにみえます。髪は無く、僧侶のような恰好をしていることから、国東半島各所に祀られている弘法大師様を模した石仏なのかもしれません。
イボとり地蔵は全国にたくさんある
イボ地蔵尊について、ネットで調べてみると、全国にたくさんのイボ地蔵さまがおられることがわかりました。参照したのはこちらのサイトです↓
https://hiramatu-hifuka.com/iboibo/ibozen2.html
こちらのサイトでも、今回ご紹介している国東町川原のイボ地蔵もリストにあげられています。興味深いことに愛知県豊川市小坂井町北浦には、庚申様とイボとりの神様が同じ神様として祀られている場所もあるようです。
参照:https://hiramatu-hifuka.com/iboibo/iboibo2/kozakai.html
同サイトを読んでると、イボ地蔵は、イボとり神様・仏様のひとつの分類であることがわかります。
ではイボとりの神様・仏様をもう少し詳しく調べてみます。わたしの手元にある資料で『宿なし百神 (東京美術選書12)』という書籍があります。その書籍のP20-22に疣(いぼ)取り神について紹介されています。
疣取り地蔵と呼ばれるものは全国的にある、祈願をすれば疣を落としてくれると信じられている。地蔵は子供を守るという信仰が強く、疣の種類でも初年期にできる尋常性疣がもっとも多いし、子供は疣を気にしやすいので、疣取り地蔵とか疣地蔵の信仰ができたものだろう(P22)
わたしも、小学生、中学生のころに水泳をしていたとき、手のひらに俗にいう「みずイボ」ができていて、これをいつも気にしていました。イボを取るには病院にいって、痛い治療を受けないといけない…などのうわさを聞いていたので、病院へ行くのもいやだな…などと長い間、悩んでいました。
のちのち、市販のイボコロリで自力で治したのですが、やはりイボというものは気になる存在でした。むかしから、イボは身近な小さな病気だったので、こんなにたくさんのイボ取りの神様仏様が、全国に祀られたのだということが想像できます。