きたきゅう発掘!考古学ノートのP186を読むと、白岩西遺跡(しらいわにしいせき)という中世につくられた遺跡が紹介されていました。この遺跡は、福岡県北九州市の八幡西区の香月(かつき)という地区にあったそうです。
場所:福岡県北九州市八幡西区白岩町1−1
この遺跡の紹介文に目がとまったのは、P186に白色の五輪塔が写真で紹介されていたためです。この五輪塔は、白岩西遺跡にお供えされていたものだそうで、現在、実物をみるには「北九州市立いのちのたび博物館(福岡県北九州市八幡東区東田2丁目4−1)」に足を運ぶ必要があります。
この五輪塔は、なんと陶器でできた五輪塔で、全国的にも珍しいとのこと。似たような白い五輪塔が、北九州市若松区安屋の戸明神社にも祀られているのを思い出しました。
参照:https://www.ku-hibino.com/entry/2018/03/04/073106
以前に、戸明神社の五輪塔をみても、どういう素材でつくられているのかわからなかったのですが、もしかしたら、陶器でできているという可能性もあるのかもしれません。
きたきゅう発掘!考古学ノートのP186に紹介されている白い五輪塔は、八幡西区香月の地名にもなっている「香月」姓の豪族の墓所で供えられていたものと考えられています。香月は「勝木」とも書かれます。
この香月氏は、平家方の水軍の将であった山鹿氏の流れですが、江戸期には小倉藩の大庄屋をつとめています(参照)
香月氏は山鹿(やまが)氏の流れ…とありますが、”流れ”とはどういう意味なのでしょう?
山鹿氏と香月氏との関連を調べてみると、こちらのサイト(参照:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/katuki_k.html)に詳しく紹介されていました。このサイトを箇条書きにまとめてみると以下のようになります。
・現在の北九州市八幡にはたくさんの荘園があった
・到津荘、小倉荘、麻生荘、山鹿荘、上津役郷、野面荘、香月荘など
・平家が滅亡した
・宇都宮氏など東国から北九州域へひとが移り住んだ
・宇都宮氏が山鹿荘をおさめ山鹿氏を名乗るようになった
・山鹿氏から麻生氏がわかれでた
・麻生氏の一部の領主が香月荘をおさめるようになり香月氏を名乗るようになった
つまり山鹿氏の”流れ”というのは、山鹿氏という本家から分かれ出た分家のようなイメージらしい。山鹿氏が本家、香月氏が分家というようなイメージなのでしょうか。
今回の記事で、ご紹介している白岩西遺跡(しらいわにしいせき)という場所は、この香月氏の墓所と考えられています。遺跡の場所自体は、白岩町という地区にありますが、すぐ隣の地区に香月という名前の地区があります。
13世紀から16世紀ごろの、中世の古い名前(香月)がそのまま、八幡西区の地名に引き継がれているのですね。