長崎街道 (大里・小倉と筑前六宿内宿通り底井野往還) (九州文化図録撰書 (1))のp41で”長崎街道上で唯一「上段の間」をもつ建造物”と紹介されている「銀杏屋」という建物↓
長崎街道沿いの史跡を巡っているときに、2018年1月21日に立ち寄った場所です。銀杏屋は正式には「立場茶屋銀杏屋(たてばぢゃやいちょうや)」と呼ぶそうです。
場所:福岡県北九州市八幡西区石坂1丁目
座標値:33.806523,130.749743
しかし上段の間というのは、どういうものなのでしょう?調べてみると…
書院造りで、下段の間に続いて、框(かまち)の高さだけ床を高くした座敷。主君が家臣と対面した所。上段。
…とあります(参照:コトバンク 上段の間)。当時撮った写真を見返してみると、偶然にも「上段の間」が撮れていました↓
ひな祭りの前だったので↑上段の間には二体の人形が飾られており、ちょっと奇妙な感じがします。通常の高さの座敷から、みたところ20センチほどの段差ができています。この一段高い部屋に主君が泊まられたということなのでしょう。ちなみに、この上段の間には見学の目的でも入ることができませんでした。
↓こちらが「下段の間」です。土間からの上がり框(かまち)を経て、居間へとあがります。この高さが通常の高さなのですね。この下段の間に、主君に仕える家来が控えていたのですね。
撮った当時はこのような事前の知識をもたずに立ち寄っただけなので、なんとなしに上段の間を見ていました。関連書籍を読んでみると「なるほど、この構造が長崎街道沿いでも珍しいのか」と改めて発見できうれしい思いです。
ちなみに「銀杏屋」の名前は↓庭に生えているイチョウの樹からついたものと考えられます。
このイチョウの樹は一本の樹ではないようで、四本の樹が寄り集まるようにして生えているそうです。幹の中央部分に枯れた箇所が見えますが、これは1836年の火災で枯れてしまった部分です。
火災のあとに残った根の部分から数個の芽が生え、それが成長して現在の四幹立ちの樹となりました(参照:案内板)