福岡県から長崎県へ続く長崎街道から分岐し、佐賀県の唐津まではしっていた唐津街道。この街道沿いを巡ると、いくつも史跡をみることができます。今回も、そんな史跡のひとつ猿田彦神社の猿田彦大神のご紹介。
唐津街道は、長崎街道の木屋瀬宿から分岐し、猿田峠を経由して赤間宿へと続きます。猿田峠は鞍手郡と宗像市の境目にある峠です。この峠を過ぎ、赤間宿方面へ県道29号線を200mほどくだったところに、猿田彦神社があります。
場所:福岡県 宗像市 吉留
地図:Google マップ
おおざっぱに位置関係を示すと↓このようになります。
もともとはこの神社、豊日神社という名で猿田彦大神が合祀され、猿田彦神社とも呼ばれるようになったようです。県道29号線から、昔の街道とおもわれる小さな道へ分岐してすぐ右側に神社はみえるのでみつけやすかったです。
↓これは宗像側から猿田峠方向を見上げるかたちで撮った写真です。写真左側に赤いのぼりが立っている場所が猿田彦神社。右側の道路が県道29号線です。写真正面の白っぽい道路が、昔、唐津街道だったと思われる道です。
道路わきに車を停めさせてもらい、神社へ。
神社境内までは長い階段がのびていますが、目的とする猿田彦大神は、この鳥居のすぐ右わきにみえました。
↓塔にむかって左肩部分が大きく欠けているようにみえます。私がもともと、この猿田彦大神があるという情報を得た「唐津街道―豊前筑前福岡路 (豊前筑前福岡路) (九州文化図録撰書 (5))」の写真では、地面に直接立てられているようで、少し雑に祀られているように見えたのですが、2017年では↓このように台座の上に大事に祀られています。
塔の下側には人の名前が三名刻まれていますが、以前直接地面に立てられていたせいか、下端部分がだいぶ浸食されています。判読がしにくくなっていました。名前の上側だけが見えます↓ 「中」「谷」「富」と刻まれているようですね。
↓つくられた時代も刻まれていますが、これもちょっと読みにくい…「文政十…年」とかろうじて読めますが、十何年なのかはわかりません。文政は13年までなので、この猿田彦大神は、1828年から1830年の間につくられたのでしょう。
つくられた月も刻まれているようですが…これは、「十月吉日」かな?
↓横からみるとこのような感じです。比較的平たい自然石で造られています。横や後ろがわには銘は入っていませんでした。地面に置かれていたのを、台座にコンクリートで固定されたようです。
今回は庚申塔というよりも、街道の道しるべとしての役割をもつ道祖神として猿田彦大神は祀られているようでした。
↓こちらは豊日神社(猿田彦神社)境内の写真です。
昔は拝殿があったのでしょうが、今はその名残である基礎と…
瓦…そして祠だけが残っていました。
祠に参拝し、猿田彦神社を後にしました。
今回のような猿田彦大神の石塔は、厳密にいうと庚申塔とは違うとは思います。しかし後で記事を見直すとき、庚申塔や道祖神を記事内から見つけやすくするよう、ブログの「カテゴリー」では「福岡県の庚申塔」として分類しておきます。