住宅街のなかに突如として鉄道用の橋梁(きょうりょう)が姿を現します。
場所:福岡県北九州市八幡東区茶屋町
これは「九州鉄道茶屋町橋梁」と呼ばれる史跡です。橋梁は「きょうりょう」と読み、簡単にいうと「橋」のこと。
このレンガづくりの橋は、明治24年4月に開通した九州鉄道 大蔵線の一部の施設です。もともと、黒崎から門司まで海岸沿いの鉄道ルートが計画されていたそうですが、陸軍省の反対にあい、やや内陸部を通すこととなりました(参照:案内板)。
内陸部に鉄道を通すとき、どこを通ったら最も便利であるか?昔からたくさんの人達の往来がある街道沿いが便利であったそうです。
明治の新時代となり、各地に鉄道を通したとき、街道沿いに敷設する場合が多かった。街道はメインストリートであったから、当然鉄道を通し、新しい交通手段とした。それで街道を重なることが多い(長崎街道を行く(松尾卓次著)P181-182)
同書の地形図を見てみると、たしかに茶屋町橋梁は長崎街道と重なっています↓
長崎街道を行く(松尾卓次著)P176
茶屋町橋梁を含む「九州鉄道 大蔵線」は以下のような流れで廃線となりました。
・八幡製鉄所の操業開始(明治34年:1901年)
・戸畑線の開通(明治35年)
・九州鉄道が国有化(明治40年:1907年)
・戸畑線が本線へ昇格(明治41年)
・大蔵線の廃線(明治44年:1911年)
明治35年に開通した戸畑線は、大蔵線の北側へグイっと曲がり海岸沿いを走り小倉→門司方面へとのびています。現在(2018年)、北九州の海岸沿いを通っている鉄道がJR鹿児島本線で、この鹿児島本線はもともと九州鉄道 戸畑線ということなのですね。