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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

眼病に効くと云われる畑観音 どうして畑観音と呼ばれるようになった? 北九州市八幡西区

場所:福岡県北九州市八幡西区大字畑

座標値:33.795744,130.787848

 

目の病気に効くと云われる八幡西区 畑にある畑観音。畑観音は通称で、正式には「白縫の観音」なのだそうです。釈王寺の本堂に祀られています。

 

畑という地名がそのまま観音さまにつけられたのですが、では、なぜ畑という名前がこの地についたのでしょうか?調べてみました。

 

すると、その由来が北九州市のホームページに紹介されていました(市街地・丘陵地エリア:PDF)。

 

戦国時代、企救郡西谷の長野良義の城が攻められた時、落城寸前の状態で目の不自由な華姫が、許嫁(いいなずけ)の桜丸を探して一向に逃げようとしません。

 

そこで、家来の六郎太は自分の喉を切り、桜丸の声色を使って姫を助け出しました。

 

その後、目に御利益のある「白縫の観音」近くで二人は暮らしましたが、姫の目が治る前に六郎太はこの世を去りました。

 

のちに、自分を助けたのが六郎太だと知った姫は、尼になり冥福を祈りました。そして、六郎太が畑を耕したこの地を「畑」、「白縫の観音」を「畑の観音」と呼ぶようになりました。

 

畑観音を拝観する際、とても印象深かったのが釈王寺の境内の美しさと、その境内に祀られる石仏の多さです。

↑本堂前から見下ろした境内

 

↓境内に祀られる多くの石仏

「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)P198によると、釈王寺の歴史は1157年頃から始まるそうですが、これらの石仏は、おそらくその時代から多くの参拝者によって納められ続けてきたものなのでしょう。

↓史跡探訪の説明を読むと、盲目の白縫御前が后妃を弔い廟(びょう)を建てて祈念したところ、眼病が治癒したと書かれています。その頃から、この畑観音が眼病に効くという御利益がでてきたのでしょう。

 

ずいぶん古そうな石仏では、浸食によりその形がわずかに残るものさえあります。

 

境内の一番奥…本堂の右奥…には↑「畑観音の滝」と洞窟があり、滝の両側には大きな二体の不動明王が睨みをきかせています。この洞窟の水は眼病に効くと言い伝えられます。この滝で滝行をするかたもいらっしゃるそう(参照)。

 

↓この滝のすぐ下流にも、もうひとつ滝があります。

こちらの滝つぼには、江戸時代に雨乞いが行なわれたという言い伝えられています。

 

嘉永6年(1853)の2ヶ月あまりに及ぶ大干魃に際して、現在の八幡東区の村々では、雨ごいの最後の手段として、 福岡城の矢倉に保存されている虎の頭を役所を通じて借り出し、蛇形(じゃがた)をこしらえ、 一緒に滝壺に沈めました。

 

一瀬村の高見神社の社僧が来て、蛇の頭に幣帛(へいはく)を立て、蛇の舌に祈祷札(きとうふだ)をはり、 滝壺にさかさまに浸けました。

 

これは神聖な場所を汚して神の怒りを招き、雨を呼ぶ手段でした(参照:案内板)

 

 

この釈王寺境内の手前には、いまでは廃屋となった「みやま荘」という平屋の旅館(写真左)一件と、二階建ての家屋が二件(写真右)ありました↓ 

「みやま荘」の看板には川魚、鯉(こい)料理とあります。地元のかたの話を聞くと、鯉料理は畑地区の名物料理なのだそうです。

 畑地区には畑ダムという大きなダムで造られた畑貯水池があります。

この貯水池で獲れた鯉(こい)を料理して食べさせてくれるお店が、畑貯水池の周りに、ポツポツとあります。

 

地元のかたの話によると、そのような店は昔からあるそうです。撮ってきたばかりの鯉の身には泥臭さが残っており、これを抜くのに、きれいな水をはった生けすに数日間、鯉を泳がせるそうです。

 

そうやって臭いを抜いた鯉はとても美味しく、その地元のかたはたびたび貯水池のほとりの料理屋さんに行っていたそうです。

 話を元に戻すと、畑観音をお参りにこられた方たちも、昔はこちらの建物で休憩したり宿泊したりして、なかには鯉料理に舌鼓をうったかたもいらっしゃったのでしょう。