福岡県直方市に建武という古い時代に建立されたという板碑があるそうで行ってみました。
Google mapを使って「直方市 史跡」というキーワードで検索してみるとヒットした史跡です。
場所:福岡県直方市上境
座標値:33.727921,130.746449
住宅街のなかにブロックで築かれた小さなお堂があります。お堂の入り口は金属製の柵がされています。
柵の間から中を覗くと三基の板碑が祀られていました。そのうちの一基がこちら↓
大変もろい砂岩を板状に加工し、正面上方いっぱいの円相(えんそう)の中に、胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)の種子アーンクの梵字(ぼんじ)を肉太に刻んでいます(直方市HP)。
同ホームページによると↓こちらに刻まれる文字は以下のようだそうです。
「普三界帰命十方仏令発弘願本□妙典一千三百余刻石--------建武三年(1336)丙子十月二日」(直方市HP)
一方、もうふたつの板碑は、ひとつ目の板碑の右奥に祀られています。こちらも巨大な梵字の下に文章が刻まれているようです。だいぶ風化が進んでいます。
どういう目的でこれらの板碑はつくられたのか?
南北朝時代、足利尊氏が九州へ来た。筑豊地方でこれら尊氏の兵を迎え討った。その時の戦いが激しく、戦死者が多数出た。
上野(あがの)にある興国寺に退身していた明窓禅師がこれをみて戦死者の供養のために板碑を建てたのだそうです。
調べてみると、明窓禅師は臨済宗の僧で、埼玉県→京都を経て福岡へと移ってきたのだそう(参照)。
この板碑は遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))P104にも紹介されています。三基の石塔のうち一番左…手前の塔は模擬塔なのだそう。