場所:福岡県飯塚市川島
座標値:33.656522,130.686962
飯塚市の北側、川島という地区を遠賀川沿い土手を車で走っていると、巨大な庚申塔をたまたま見つけました。小さな境内に祠のみが祀られる宮地嶽神社。
その神社の入口に鳥居があり、鳥居の左隣に二基の庚申塔があります。
ひとつは「幸神」、ひとつは「庚申塔」と刻まれていました。
今回は幸神と刻まれた庚申塔に焦点をあてます。
「庚申塔の研究」大日洞発行(清水長輝著)で「幸神」についての記載がないか探してみると見つけました。P204~P205に「幸神」という項目がありました。
「幸神」は「さいのかみ」と呼ぶそうで、庚申塔のなかでは比較的末期に現れたもののようです。その説明部分を抜粋してみます。
(前略)単に漠然と庚申は神なりとし、庚申神、幸神としるした庚申塔もある。幸神はサイノカミとも読まれ、道祖神の交流が認められるところである。これらの例はだいたい末期に多く、文字塔が庚申塔の主流をなしていた時代にあたり、ことさらに具体的な神像をあらわさなくてもよかったので、一部神道系統ではこういう安易な表現方法を用いたものであろう(P204)
幸神の庚申塔の裏側には「明治十年 丁丑一月艮日」と刻まれます。「日」の部分はだいぶかすれてしまっていますが、よく見ると刻まれていることが確認できます。
ここに見慣れない文字があります。「艮」です。これは調べてみると一文字で「うしとら」と読むそうです(参照)。
方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。
丑と寅の間ということです。「丁丑一月艮」の「丁丑」は明治十年の干支を表し、「一月艮日」は艮はこの庚申塔がつくられた日付けを表すと予想されます。艮が何日をあらわすものなのかはっきりとはわかりませんが、十二支を順番に数えると…
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
…となり、丑→2、寅→3となります。
このことから単純に考えると「一月艮日」は「一月二十三日」と予想されます。
まとめてみると、この↓庚申塔は明治10年1月23日に建立されたものと考えられます。明治10年といえば庚申塔の歴史ではかなり新しいものです。
飯塚市や嘉麻市など筑豊地方にも新しいものから古いものまでたくさんの庚申塔が残っているので、民俗資料館などに行くと庚申塔をまとめた書籍があるのではないか?機会があれば探してみようと思います。