日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

畑の中に祀られる二基の庚申塔 大分県国東市国東町浜

場所:大分県国東市国東町
座標値:33.636352,131.6778009

畑に二基の庚申塔が祀られます。今回の庚申塔は見通しのよい場所に祀られていたので、すぐに見つけることができました。

畑の中と…私有地なので遠くから写真を撮ってみました。側面など細かい部分は写真に撮ることができませんでした。どちらも邪鬼の顔が青面金剛に踏まれていました。

うちひとつ↑は、青面金剛の両脇に二童子、足下に一猿二鶏が刻まれます。"くにさき史談 第九集 P41"によると、享保9年(1724)丙申9月24日の銘が刻まれているそうです。

 

もうひとつの庚申塔↑にも、青面金剛に踏まれる邪鬼。その両脇に二童子、足下に三猿、二鶏が刻まれます。

 

同じく"くにさき史談 第九集 P41"によると、宝暦10年4月吉日の銘があるそうです。宝暦10年というと1760年。

 

「国東半島の庚申塔」小林幸弘著P89を読むと、国東市国東町庚申塔の造率について書かれています。

元禄~享保年間にかけて他の市町村と同じく造立のピークを迎えた後に、しだいに下火となり、文政年間以降は作例が極端に少なくなっている。また同じ時期に並行して「青面金剛」を刻んだ文字も造立され続け、元禄七年(一六九四)から享和三年(一八〇三)の間に二〇基を数える。

 

国東半島の庚申塔(小林幸弘著)のP24に各時期にどのくらいの庚申塔が造られたのかを表す表が掲載されています。

今回ご紹介した庚申塔享保と宝暦に造られていますが、↑この表を見てみると、享保年間では6.7基/年、宝暦年間では2.44基/年という速いペースの年間に二基の庚申塔が造られたことがわかります。

 

同時期に造られた国東町内の他の庚申塔を見てみると、どうも笠つきのものが多いようです。今回の庚申塔の上側は平たく、何かが乗っていたようにも思えます。もしかしたらもともとは笠つきの形態の庚申塔だったのかもしれません。