以前ご紹介した「庚申塔がたくさん祀られていた神社 飯塚市枝国 宝満宮」の記事を、「国東半島の庚申塔」(大分合同エデュカル)の著者である小林幸弘氏が読んでいただき、”飯塚市にはもうひとつ宝満宮がある”という旨を教えていただきました。
地図で調べてみると前回ご紹介した宝満宮が「枝国」という地区、そして今回訪問した宝満宮が「花瀬」という地区にありました。
小林氏によると、もうひとつの宝満宮には「庚申尊天塔の初期の塔」が祀られているとのことです。氏の所蔵する「民衆宗教史叢書17 庚申信仰」(小花波平六編 雄山閣 1988年)によると、以下のような記載があるとのことです。
“庚申尊天と刻む庚申塔が九州には多い。庚申尊天というのは庚申の本尊にちがいないが、関西や関東などの庚申塔には、このような呼称の塔はない。九州特有の庚申さんの呼び名である。福岡県飯塚市鎮西花瀬宝満宮には「寛文八□□年正月二十一日、南無庚申尊天、願主、敬白」と刻む塔がある。この寛文のものが庚申尊天塔の初期の塔である。“(P217~218)
庚申尊天と刻まれる塔は九州特有で、かつ飯塚市花瀬の宝満宮にある庚申尊天はそのなかでも初期のものというわけで、行かずにはおれません。そういうわけで早速行ってみることにしました。
場所:福岡県飯塚市花瀬 寳満宮
地図:Google マップ
こちらの宝満宮…鳥居の扁額には「寳満宮」と記されていました。
そして拝殿に向かって左側に目的とする庚申塔が祀られていました。
表面の文字はだいぶかすれてしまい小林氏から教えていただいた情報がなければ、あまり読み取ることができません。塔の真ん中にかろうじて「庚申尊天」と確認できました。実際には「南無庚申尊天」と刻まれるそうです。その下に「願主」と刻まれます。
塔に向かって庚申尊天という文字の右側に「寛文八」という文字が見えます。実際には「寛文八□□年」と刻まれるそうです。
「庚申尊天」という文字の左側にどうも「十一日」と刻まれ、その下にかろうじて「白」という文字が見えます。実際には「正月二十一日 敬白」と刻まれるそうです。
まとめてみると、実際の文字の配置はこのようになるのではないかと思います↓
寛文は十三年までしかないので、この庚申塔は寛文八年…つまり1668年に造られたと考えてよさそうです。そのときの干支は「戊申 つちのえさる」。だから「□□」に入る文字は「戊申」と予想されます。
また今回も発見がありました。