小舟にのった地蔵菩薩が、岩壁に刻まれている。なんとも珍しい史跡が豊後大野市にあるという情報を得て、行ってみることにしました。
地図:Google Maps
犬飼町は小さな集落で、車を駐車できそうな場所は各所にありますが、なんせ道路が狭いので、地元のかたに迷惑がかからないよう配慮が必要でした。
ぐるぐる町の中を周った結果、犬飼警察官駐在所ちかく、空き地に車を停めさせてもらいました。ここの空き地には、廃材なんかが置かれてて、どこかの家の駐車場という感じでもなかったので、だいじょうぶかなと思いました。
地図:Google Maps
この空き地から、駐在所横を通り、線路を渡って浄流寺を横切って↓下の写真のような道へ出ます。この道は、大野川へ下っていく砂利道になっていました。目指す波乗り地蔵は、大野川の川岸に彫られているそうです。
↓途中、わかれみちになっていて、右側の川へくだるルートへと歩を進めます。
川岸に大きな岩があります。あれが、波乗り地蔵が刻まれている岩でしょうか。
↓右側の岸壁をザッと探してみても、何か刻まれている様子がありません。なんどか往復して、さらに周囲の岩肌も探してみてもそれらしいものが見つけられませんでした。
↓地面はこんな感じでゴツゴツ。なんだか、宮崎県にある鬼の洗濯岩のようなスジが走っています。ここは、江戸時代に豊後岡藩によってつくられた川港で、当時の石畳が残っているんだそうです。
↓念入りに、再度はじめにみた岩壁を探してみると、波乗り地蔵がありました。なんともわかりにくいです。この写真くらい引いた位置では、その姿は判別できません。よくよく見てみると、足元に「波乗り地蔵」と刻まれた石のプレートもあります。周囲の景色と同化しているので、これまたわかりにくい。
↓少し波乗り地蔵をアップにして撮ってみると…なんとか判別できました。線彫で、かつ、岩肌にも模様が浮き出しているので、これもわかりにくさを助長しているようです。
波乗り地蔵は左側を向いていて、やや前かがみ。小さな船に乗っています。船の周囲には波が彫られています。大分県の石仏や摩崖仏を巡ってきましたが、このような線彫りのものは珍しいです。よく浸食に耐えて、いままで残っていたなと思います。
この波乗り地蔵が彫られたいきさつには、ふたつの説があります。
1.中川公(岡藩主)が、参勤交代で犬飼から府内までくだる際、安全祈願のために刻んだ
2.雪舟が”沈堕の滝”を描くために、この地に来たとき、犬飼に立ち寄って描いた
案内看板より