大分県豊後大野市の緒方町に、ふたつ、おおきな摩崖仏があると知り行って見ることにしました。緒方宮迫(おがたみやざこ)東石仏と、緒方宮迫西石仏です。石仏とは呼ばれていますが、岩壁に浮き彫りにされた、摩崖仏です。
ふたつの摩崖仏がある場所は近くて、200mほどしか離れていません。だから、片方の駐車場に車を停めて、摩崖仏間は歩いて移動しました。
どちらの摩崖仏も、国指定の史跡として登録されています。まずは、緒方宮迫東石仏から見てみることにしました。
地図:Google Maps
駐車場から摩崖仏のある岩壁までは、歩いて3分ほど。舗装された坂道を歩いていきました。
訪れた日は天気ではあったものの、周りの湿気は高くて、道は苔むしていました。すべらないよう注意していきます。
りっぱなお堂が見えてきました。
”「ふるさとの文化遺産 郷土資料事典44 大分県」人文社”を読んでみると、こんなことが書かれていました。
間口2.27m、高さ7m余りの洞窟内に、大日如来坐像を中尊として、右に不動明王立像と天部二体の下半身、左には多聞天立像と仁王像が刻まれている。
大日如来坐像の右側にある、”天部二体の下半身”とありますが、天部とはなんなのか?調べてみると…
衆生の輪廻転生において、六道(迷いのある世界)の一つ天道に住む神。天界に住む者の総称。天部 - Wikipedia
…とありました。
この、下半身だけの摩崖仏は、はっきりどの神様とはわかりませんが、大日如来坐像をはさんで、反対側に金剛力士像が刻まれている↓ので、この下半身の摩崖仏も金剛力士像が刻まれていたんでしょう。
ちなみに、不動明王立像と、金剛力士像とのあいだには、こんな穴がみられます。おそらく、昔はここに柱をかけて、お堂をくみ上げていたのでしょう。
これらの像には、国宝である臼杵の摩崖仏とおなじように、彩色がほどこされ、その跡がかすかに残っています。
中尊の大日如来坐像は高さ2.65m 方形の裳懸座(もかけざ)に結跏趺坐(けっかふざ)し、眉・螺髪(らはつ)・口髭は墨で、唇・衣文(えもん)・肉髻(にくけい)が朱で彩色されている。「ふるさとの文化遺産 郷土資料事典44 大分県」人文社
なんだか難しい言葉が並んでいます。肉髻(にくけい)って何?調べてみると、頭のてっぺんの、モコっとした部分なんだそうです。
よくよく、大日如来坐像を見てみると、背後にも装飾がほどこされているのが確認できます。細かいですね。ここは、頭光・身光と呼ばれる部分なんでしょうか。蓮らしき花が刻まれています。
さらに、洞窟の左側には宝篋印塔(ほうきょういんとう)らしき石塔も刻まれています。
この緒方宮迫東石仏は、地元のひとたちからは、”牛の守り神”として信仰されいて、旧暦の1月8日と7月8日には牛を連れた参詣客でにぎわうのだそうです。ですが、ネットで調べてみても、そのような画像は見当たりませんでした。
いまでも、旧暦の1月と7月には参拝がされているのかな?農業で牛を使うことがなくなって、もういまではなくなった光景なのかもしれません。
ここまでが、緒方宮迫東石仏。西石仏はまた別の機会に。