福岡県北九州市若松区には、東西に5㎞くらい連なる低山群があります。東側から名前を挙げていくと、高塔山-石峰山-岩尾山-弥勒山-白山
その中の、岩尾山(221m)には、昔、お城があったとのこと。花房城(はなふさじょう)と呼ばれる、麻生(あそう)家の城だったといわれています。
一見すると、何の変哲もない、ただの山。お城があったとは思えない。
山の上に無線中継所の大きな鉄塔がたっていますが、そのすぐ隣。山がポッコリとなっている場所に、花房城があったといわれています。↑上の写真だと赤丸でかこんだ場所ですね。
この場所に「行きたい、行きたい」と以前から思っていたのですが、仕事の休みの2017年5月20日(土)に、花房城跡を目指すことにしました。
地形図を見ると、おそらく近くまで車でいけそうな雰囲気です。
ですが、近くまで行くと…「これより関係者以外 立ち入り禁止」の看板が。
んー、一見、NTTの関係者以外は立ち入り禁止のようにみえるけど、手書きで個人で書いているような看板です。先には立派な舗装道が延びてます。私有地のようには見えないけど、もし所有されている方に会ったら、花房城跡に行きたい旨を伝えよう…。進むことにしました。
曲がりくねった舗装道を抜け、
竹林を抜け、
さらに舗装道から砂利道に変わり、この砂利道を抜けていきます。
途中で、この土地の所有者らしきかたが作ったと思われる、畑が見られました。
一度、ピークを過ぎ、若干下りに入ると、なにか鳥居…いや、看板らしきものが見えてきました。
やっぱり看板。花房城跡について書かれてます。文字部分は、無残にも地面に落下してました。
この案内看板によると、昔は城跡があった辺りは、「山鹿荘西郷」と言ったそうだ。東西30m 南北60m 高さ6mほどの長方形台地の城郭と空堀があるとのこと。
看板のすぐ脇に、登りの階段があるので、ここを登る。
おお、ここが、花房城があったといわれる台地なんですね。いまでは一見、何にも残っていません。
ぐるっと一周まわって、写真を撮っても、雑草が生い茂るちょっとした広場という感じでした。城が建っていた当時は、このような樹々もなく、展望がきいたんでしょう。想像していたよりも、狭い土地に城は建っていました。
案内看板には、「山の斜面には竪堀が残っていて、中世の山城の原型をとどめている」とあるけど、雑草繁茂により確認はできません。同じく、案内看板には、この城についての伝説が記載されていました。それを抜粋します。
その昔、戦いに敗れた花房城の美しい姫は城から脱出し、山麓の狩屋まで逃げた。しかし、隠れるところもなく大きな桶に身を潜めていたが、その着物の裾模様が敵の雑兵に発見され、哀れにもその場で殺されてしまった。
その後、これまでに見たこともない姫の着物裾模様に似た草花が、狩屋の谷間一面に美しく咲くようになったという。
この伝説に出てくる地名「狩屋」は、岩尾山のふもとの畠田という場所にあるらしい。そこには今も、姫を供養するお地蔵さまが祀られているという。まだ僕はいったことがありません。
さて、せっかく花房城跡まで来たのだから、岩尾山山頂まで行くことにしました。
↓下の写真のように、途中二手に分かれている場所があるけど、これは右方向。若干くだっている道をいきます。ここまで来ても、ガードレールがあって、昔は整備された道だったんだろうな…ということが想像できます。
でも、草ぼうぼうで、雑草をふみわけふみわけしながら、山頂へと急ぎます。
↓無線中継所鉄塔の足がみえてきました。
やっと着いた。今もここには、メンテナンスのために人は来るのかな?ちゃんと機能しているんでしょうか?
鉄塔前は樹木が伐られてて、良い眺めが楽しめました。↓これは頓田(とんだ)貯水池がみえているようですね。
どうも、岩尾山の三角点は、この中継所敷地内にあるようです。あたりを探し回りましたが、見つからなかった。
往復、1時間半ほどの小登山でした。