福岡県北九州市の若松という場所にある貴船神社。小学生のころ、この神社のほら貝が神主さんによって吹かれているのを、見学したことをかすかに覚えています。
現在地から貴船神社:Google マップ
小学生だから、ほら貝がどうして吹かれているのか理解していなかったので、神社にはほら貝があるんだな…程度の認識で、”ボワーン”とほら貝が吹かれている様子を眺めていたように思えます。
大人になって、改めて貴船神社を訪ねてみると、こんなに小さな神社だったのかと驚きます。小さな集落の端のほうに、こじんまりと祀られていました。
この貴船神社には「不老長寿のほら貝」という民話が残されているそうです。この民話を読んでみてはじめて、「ああ、貴船神社とほら貝にはこんな関係があったのか」と思いました。
「筑前芦屋の民話」という芦屋町歴史民俗資料館が発行している小冊子に、不老長寿のほら貝という民話は掲載されていました。
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江戸時代の中ごろ天明二年、芦屋浦の男が伊万里焼を仕入れて稲荷丸という船に積み奥州まで売りさばきにいきました。
ある日、津軽の山中で道に迷い小川のほとりで洗濯をしていた美しい女に一夜の宿を頼みました。
筑前芦屋のものだと名乗りますと女はわたしも筑前のものです、と言って懐かしがり、男を大きな構えの自宅に案内しました。下男下女が四、五人いて主人は旅行中でした。
その夜、女は食膳をととのえ酒を出し男をもてなしながら身の上話をしました。
「わたしは筑前山鹿のそばの庄ノ浦の海女の子です。わたしが庄ノ浦にいたころ、山鹿秀遠(やまがひでとう)さまが安徳天皇さまをお迎えして山鹿の東に仮りの御所をかまえられました。わたしは磯のものをとって、時おり御所にさしあげていました。」
天明二年からというと六百年も前の話です。男は驚きました。
女がいいますには、自分が病気をしたときに子どもがとってきた大きなほら貝を食べたところ、病気はすぐ治り、それから年をとらなくなりました。
不老不死の薬だったのです。やがて夫が年老いて死に子ども・孫・曾孫(ひまご)と死んでいきました。
家族と死別した女は豊前・豊後・四国から山陰へと旅に出て農家の主人の妻になりましたが年をとらぬので化生(けしょう)の者と怪しまれ、そこを離れて都へ出ました。
それから六百年、各地を巡ってこの津軽にきて今の主人の妻になりました。
しかし主人は年をとるのに自分はいつまでも若いので、ここにもおれなくなるのではないか、行く末が心配だと女はいうのでした。
そして、「ほら貝の殻は、庄ノ浦を出るとき納めてきたから帰ったらそれを探して私の子孫に私の話を伝えてほしい。」と付け加えました。
男は芦屋に帰って庄ノ浦の祠でほら貝の殻を見つけ、子孫の伝次郎に会って女との約束をはたしたということです。
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ほら貝が納められていた”庄ノ浦の祠”は、この貴船神社鳥居の場所なんだそうで、鳥居に向かって右側に石の柱がみえますが、ここにほら貝が納められていたそうですよ。
毎年4月15日に「ほら貝祭」が開催されているそうですよ。