日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

福岡県で625年前につくられた鐘が広島県にあるため訪ねた 広島県廿日市市吉和

ずっと以前に福岡県遠賀郡に千手寺というお寺があって、そのお寺で使われていた鐘(梵鐘)について書かれた文章を読んだ覚えがありました。その資料が、どこのどのような資料だったのか思い出せないのですが、その内容は「千手寺で使われいた梵鐘が、その後、広島県に運ばれた」というものだったと、ぼんやりと記憶していました。

 

その後、なんとなしに広島県廿日市市の史跡についてググっていると、その梵鐘について書かれているサイトがみつかりました。

 

「教龍寺銅鐘」

http://members.fch.ne.jp/hatsukaichi.city.yoshiwacc/photo04.htm

 

このサイトによると…

 

この鐘は、筑前遠賀庄黒山千手寺のものでしたが、江戸末期に西本願寺から太秦の広隆寺の鐘となり、現在は吉和教龍寺にあるという転変をたどったものです。

 

遠賀(おんが)の黒山という地区は、三里松原という、海岸沿いに造られた立派な松林がある地区です。わたしは、この三里松原によく足を運んだことがあったので、「黒山」という地名にピンときたのです。

 

ずっと以前に、なにかの記事で読んだ梵鐘が、広島県の吉和という地区の教龍寺というお寺にあるということがわかったので、行ってみることにしました。↓こちらが教龍寺を遠目でみたところです。

場所:広島県廿日市市(はつかいちし)吉和

座標値:34.493798,132.153892

 

いっけん民家のようで、はいっていくのに勇気がいりました。しかし、運よく庭先に人影がみえたので、いざというときには梵鐘について尋ねてみようと、意を決して敷地内へと歩を進めました。

 

庭先におられたのは、これまた運よく、教龍寺のご住職でした。『教龍寺の銅鐘』について尋ねてみると、笑顔で境内へと入れていただきました。

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『教龍寺の銅鐘』は屋外にさげられているわけではなく、本堂の中に保管されていました。本堂の前にも、目指す鐘とは別の鐘がつるされていたので、ご住職に質問をしなければ、屋外にさげられている鐘を『教龍寺の銅鐘』と勘違いしていたと思います。ご住職に質問をしてよかったと思いました。

↑本堂脇の扉のカギをご住職にあけていただき、回廊へ通していただきました。その先に↓目指す銅鐘がありました。

銅鐘の表面には以下のような刻印がされていました↓

大日本國筑前遠賀荘

黒山千手寺

洪鐘一口

大檀那  沙弥良教

 「洪鐘(こうしょう)」とは”大きな釣り鐘”のこと。「大檀那(おおだんな)」とは”お布施をたくさん出す檀家”のこと。つまり沙弥良教という檀家さんにより、千手寺へ納められたのが、この梵鐘ということがわかります。

 

そして、たしかに「筑前遠賀荘 黒山千手寺」と刻まれていました。

 

この面とは別の面には、梵鐘をつくった年月日(明徳5年(1394))と、大工の名前(沙弥宗悟)が刻まれています。2019年の現在からさかのぼると、なんと、625年も前に造られた鐘なのですね。遠賀郡には、芦屋釜(あしやがま)と呼ばれる有名な茶の湯釜がつくられていた歴史があります。この梵鐘もおそらくその高い鋳造技術が活かされ、造られたものではないかと、ご住職は言われていました。

記憶の片隅に保管されていたものに、ずいぶん時間を経て、実際に出会えたことにとても感激しています。ちなみに、この梵鐘は広島県指定の重要文化財となっています。

 

それにしても、遠賀郡の黒山は現在も存在する地名ですが、千手寺というお寺は調べてみても情報がどこにも見当たりません。遠賀郡誌などを調べて、その場所がわかればよいな…と思っています。