高倉神社境内に祀られる「毘沙門天像」です。2023年現在、像は立派な屋根で守られています。
場所:福岡県遠賀郡岡垣町高倉
座標値:33.846478,130.600684
銅鋳
像高:193.5㎝
総高:227㎝
造立年:1491年
作者:大江貞盛
この銅造毘沙門天像については『ふるさと岡垣の歴史と文化』のP.93~P.95に詳しく紹介されています。以下は、その内容を参考にさせていただき、記述した文章です。
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毘沙門天像は、面部の大振りな忿怒の表情や、棒立ちの硬い躰部のモデリングなど、相対的に重々しい表現となっている。しかし、殊に変わった像様でもなく、普通の毘沙門天像の形姿です。
背部の裳裾に銘文が、タガネぼりで刻まれています。
延徳三天辛亥三月
願主須藤駿河守行重
貞盛
并氏女 大工大江
小工各々
造られた年は延徳三(1491)年で、作者は有名な芦屋釜(あしやがま)の職工である、大江貞盛氏です。
以下の三点の模様は、毘沙門天像とは別の芦屋釜作品においてもみられるものです。
・胸甲の松葉文(菊花文)→銅鏡の鏡背
・両脇腹から腰をつつむ腹甲の亀甲繁文→釜の文様
・衣文の唐草や肩甲ベルトの蔦唐草→梵鐘の上帯・下帯の文様
左手でかがけられている宝塔は、手のひらに乗せた八つ手の葉の上にあります。毘沙門天像とは別に鋳て、後でつなげたものです。
1.邪鬼を鋳造
2.両足を建てて鋳掛けた
3.腰部・腹部・胸部など輪切り状にして鋳継した
4.左右の腕・袖部もいくつかに分けて鋳継した
5.首から上は別鋳して首穴に差し込んでいる
首は差し込みだけで固定はしておらず、1491年、つくられた当時の仏像のつくりかたである「分鋳」という方法をとった。鋳造で首をつなぐと、細い首部分がのちのち折れてしまうのを避けた可能性があります。
すべてが「芦屋釜」自前の技術で、この大工芸品をつくりあげた心意気が知られる。芦屋鋳工の技術の結集であり、彼らのモニュメントといってもいいものです。
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2020年7月9日の記事『緻密につくられた銅製の毘沙門天像-日々の”楽しい”をみつけるブログ-』で、この毘沙門天像をご紹介しました。その当時はまだ像は屋外にありました。