国東半島の北側にある小さな島。姫島。
何回か渡船でわたり、年に二回飛来するアサギマダラという蝶とか
黒曜石などの地形を観察しに島を周ってみました。
東国東郡に属してて、地図を見る限り
秘境の地という感がいざめない場所。
でもこの島は意外と外部からの人との交流が
昔からたくさんあった場所なのです。
交流があったといっても、縄文時代ほど昔のこと。
姫島で産出される黒曜石の鏃(やじり)から
そんな事実がわかってきたそうです。
以前に旅行へいったとき、こういった歴史を知ってたら
もっと旅を楽しめただろうなって思います。
そんな人々の交流を手助けをしたのが海流。
姫島付近をながれる海流は”逆行海流”と呼ばれ
日に2度流れを変えるそうなのです。
西は関門海峡から、そして南は豊後水道から流れてくる海流が
姫島付近でぶつかり、そのまま東の瀬戸内海方面へ流れていきます。
そしてその海流が逆へ。
関門海峡(西方面)と豊後水道(南方面)へ流れが変わるのだそうです。
昔からこの流れを利用して人々は船をつかって、
この姫島へ来ていたのだそうです。
どんな場所から来てたのかというと…
【西方面】
福岡の遠賀川流域、三角半島、下関の北方、
そしてなんと朝鮮半島からも。
【南方面】
宮崎市あたり
【東方面】
大阪あたり
けっこう広範囲ですよね。
前記しましたが、それぞれの土地の貝塚などからみつかった
黒曜石…つまり、鏃(やじり)で姫島産のものがでてきて
わかったそうなんですよ。
姫島産の黒曜石って、写真をみてわかるように
真っ黒ではなくて、ちょっと白くてやわらかみのある
黒色です。
そんな黒曜石が姫島の北西側にある観音崎という岬で
よく観察することができるんです(↓)
日本有数の黒曜石の産地で、ゴロゴロあります。
観音崎自体が”観音崎火口”とよばれる火口跡なんですよ(↓)
地図でみるとはっきりとその跡がわかりますね。
島に朝鮮から来た人もいたとのことですが、そんな言い伝えが
事実からきたんじゃないかとにおわせる神社が
島の北東部に祀られてます。
朝鮮の美女を神として祀っている神社で、
比売語曽社(ひめこそしゃ)と呼ばれてます。
その伝説は、日本書紀にかかれています。
現在の韓国南部にあったと考えられている意富加羅国(おほからのくに)の王子の”都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)”が、白石から生まれた童女である、”阿加流比売神”に求婚すると、美女は消え失せ、”都怒我阿羅斯等”が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となった。【日本書紀】
↓海岸の「拍子水温泉(ひょうしみずおんせん)」のすぐそばにあります。
拍子水温泉は源泉24℃と低めの炭酸水素塩冷鉱泉。
飲むとすごい鉄分の味がするんですが、そんな温泉が
(↓)こんな感じで、施設の横にてコンコンとわきでてます。
この温泉にも伝説が残ってて、姫がおはぐろをつけた後、
口をゆすごうとしたが水がなく、手拍子を打って祈ったところ、
水が湧き出したといういわれから、「拍子水」という名がつけられました。
こういった地方に残ってる伝説や神社の設立のおおもとには
古い歴史を掘り起こさせるものもあるんですね。
【宮本常一とあるいた昭和の日本〈2〉九州〈1〉 (あるくみるきく双書)】に
姫島の歴史が著されてて、アッおもしろいなと思ったので
まとめてみました。
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ところで、この書籍タイトルにもでてる「宮本常一」
民俗学者…「宮本常一」氏の著書は、
フィールドワークのおもしろさが、
文章からひしひしと伝わってきてて好きなので、
もう15年ちかく前から愛読してます。
宮本氏は生涯をかけて、日本じゅうをフィールドワーク
しつづけ、歩いた距離は地球4周分にもなる16万kmにも
なるという驚異の民俗学者です。
民俗学ではあるけど、書かれた文章は堅苦しくなく
重苦しくなく、そしてよみやすいので、
何冊も読み続けられたと思います。
宮本氏の自伝ともいえる著書が民俗学の旅 (講談社学術文庫)です。
よくもここまで細かく覚えてるなというほど、
事細かく、父・母・祖父など家族のことや、
ご自身が若いころどんな経歴をたどってきたかを淡々と
記されてます。
この本の「3 父」という章で印象にのこる
エピソードが書かれてます。
宮本氏が周防大島から
大阪へ就職しに移動することになったとき
父親から次のようなこと言葉を送られたそうです。
親心が伝わるズシンと心にひびく教訓ですね。
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汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか、小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅についたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷物置き場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところがよくわかる。
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村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
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金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
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時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
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金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
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私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。
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ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
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これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
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自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
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人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。
こんな感じでわかりやすい表現と
細かい描写で書かれた著書が膨大に残されてます。
この教訓を胸に、地域の農業技術格差をなくしていきたい
という思いをもって日本中をかけめぐっていたのが宮本常一氏です。
こんなに行動的なフィールドワーカーになりたいなと、
ずっとあこがれを抱いているかたでもあります。
その他おススメの本↓
なかでも印象にのこってるのが、北海道開拓の話。
寒さと飢え、ヒグマによる悲惨な被害のエピソードは
読んで10年近くたったいまでも記憶に残っている。
こういった歴史も日本にはあるんだと知れるドキュメント本。