日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

猫石丸山古墳  その名前の由来をたどる

場所:豊後高田市草地7681

猫石丸山古墳…

奇妙な名前の古墳です。どうして猫なのか。それは古墳のある場所に行くとわかります。

 

古墳のある地域が「猫石」という地名なのですが、ではどうして猫石なのか。それは、古墳近くにある貴船神社の境内にあるこの↓岩に由来します。

 

 

猫が座っているような姿に見えることから、奇特に感じた村人が猫石と名付けたそうです。その石は大切に扱われ、今も奉斎(神仏をつつしんで祀ること)を続けています。猫石の姿は近隣の村で評判になり、郡内から拝観に来る人が多かったといいます。そして、その「猫石」という語がこの地域の小字名となりました。(「国東半島 北浦部の地名を歩く」 廣末九州男 著)

 

↓写真からわかるように、明らかに潮により浸食された海蝕岩です。

でも海から1.8㎞も内陸↓に入ったところにどうして海蝕岩?その理由は地形図をみるとわかります。

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↓赤く示された国道213号線を境に左側に干拓地が広がり、右側から丘陵地となっていることがわかります。国道がちょうど海岸線で左側が海、そして右側が昔の海岸。貴船神社のある場所がちょうど海の傍だったのですね。

実は大分県北には、大きな干拓地が宇佐市から高田まで続いています。

 

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↓猫石のある地域では、赤色の網掛け部分が干拓地。昔はこの赤い部分まで海がせまっていたんですね。

 

この干拓を指揮したのが塩谷大四郎(しおやだいしろう)。

 

塩谷は、江戸から日田代官として大分県へ赴任してきました。大分県の北(豊前・豊後)に来たとき、遠浅の海岸線に目をつけて干拓新田事業を計画したとされています。この事業は1826年に着工。そして9年後の1835年に完成しました。

 

完成した干拓地の一部がこのような景色です。↓ずっと続いている平原。

そしてこの平原はこんな感じで大部分が砂地になってます。

この砂地が落花生、スイカ、ネギなどの名産物をうみだしています。

 

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猫石古墳はこの干拓地の終点付近にあります。

↑このあたり。地形図だと昔の海岸線がうっすらと読み取れます。

 昔から地元のひとたちに親しまれてきた猫石が、そのまま地名となり、その地にある古墳にまで猫石という名がついたのですね。

 

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以下は猫石丸山古墳の写真。古墳の位置は案内看板がほとんどなくてわかりずらい。古墳は台地状になっていて、台地上部は広場となり仏像群が祀られています。

↓13佛…と彫られた石碑があり、13体の仏像が祀られていたのでしょうか。

↓古墳のとなりには墓地がある。

↓地図でいうとこのあたり

↓古墳から北側を眺めると平地となっています。干拓地となっているこの場所は、昔は海だったと想像します。

 

地名のルーツをたどると、その土地の経歴がわかってきます。