日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

極楽寺ちかくの民家裏に祀られる庚申塔 大分県豊後高田市田染真木

ホームページ『国東半島の庚申塔』を運営されている小林幸弘氏からいただいた情報から、大分県豊後高田市の真木という地区に庚申塔がまつられていることがわかりました。

 

大分県豊後高田市の田染(たしぶ)という地区に、極楽寺があります。極楽寺から北東へ約40mいった地点に庚申塔がまつられています。

 

↓下の写真は極楽寺へといたる参道を写したものです。極楽寺へむかって道を歩いていくと、お寺手前の右手に民家があります。民家の手前に民家裏側へと続く細い道がのびています。

この細い道を進んでいくと庚申塔をみつけることができます。

青面金剛が主尊である庚申塔は、石祠とともに祀られています。

場所:大分県豊後高田市田染真木

座標値:33.504667,131.517667

青面金剛は一面四臂(いちめんよんぴ)で、光背をせおっているように見えます。青面金剛の足元には、見えにくくなってはいますが、三猿ニ鶏が刻まれていることが確認できます。

庚申塔にむかって左側面に、建立年らしき文字が刻まれてはいるものの、その文字の形はほとんど読み取ることはできませんでした。

 

そこで、小林幸弘氏のホームページを参照させていただきます。

 

参照:http://5884koshinto.my.coocan.jp/11takada/11016.html

 

これによると「安永二年、閏正月二日」と刻まれているということです。安永二年は西暦1773年です。

 

大分県道655号線沿いの小さな集落のなかを、おじゃまさせていただくので、とても緊張しました。

10年ぶりに訪れた 岩窟のなかに祀られる石仏 大分県豊後高田市 田染(たしぶ)平野

大分県の国東半島(くにさきはんとう)の史跡をめぐり始めた当時、とても記憶に残った場所があります。山のなかにある細い道を車で走っていると、道路わきに石段をみつけました。車を降り、その石段をのぼってみると、四角形に掘られた岩窟に石仏が納められていました。

 

「こんなところに!」と思える場所に、ひっそりと石仏が祀られていることに驚いた記憶があります。あまり人がこなさそうな場所に祀られている石仏にもかかわらず、仏前には綺麗な生花がそなえられていました。

 

2022年から思い返すと、おそらく、もう10年以上も前のことです。しかし、妙に記憶に残り続けていました。もう一度いってみたいと思い続けていましたが、その場所がどこなのか、どんな石仏が祀られていたのかも細部まで覚えておらず、そのままになっていました。

 

昔の写真を見返していたとき、偶然にも、その石仏の写真を見つけることができました。しかも、当時、訪れたとき、その場所の座標値も写真に収めていました。

訪れたのは、2011年7月13日のことです。この情報をもとに、2022年5月22日に石仏を再訪しました。

 

地図で調べてみると、座標値の場所は、大分県豊後高田市の田染(たしぶ)という地区だということがわかりました。大分県道34号線から脇道にはいった場所に、石仏の祀られている地点があります。

 

下の地図でいえば、中心の赤点部分です。鍋山摩崖仏から南西へ約350mいった場所です。

地図の中央部を走っている川は桂川(かつらがわ)です。黄色で示されている道路は県道34号線です。県道から脇道に入り、橋をわたってすぐの場所に目指す地点があります。

 

↓下の写真は橋を渡るまえの道路風景です。車一台がやっと通れるほどの道幅です。

橋を渡る直前の道路には地下水がしみだしてきており、水浸しになっています。

↓橋をわたって、森の中をはしる舗装道になります。

橋をわたりきって60mほど道を歩いていくと、左側に石段をみつけることができました↓。写真はふりかえって撮ったものなので、石段が右側にみえています。

十数段の短い階段をのぼると、石仏が納められている岩窟がみえてきます。

↓2011年に訪れたときと同様、美しい状態で岩窟・石仏ともに残っていました。

しかも、現在もかわらず、仏前には生花が供えられていました。

 

場所:大分県豊後高田市田染平野

座標値:33.498338,131.526635

 

岩窟の中央に納められている石仏は、その姿から「地蔵菩薩」のように見えます。あるいは、国東半島各所でまつられている弘法大師像かもしれません。

わたしが初めてここを訪れてから10年以上経過した現在でも、変わらず大事にまつられていることに驚き、感動を覚えました。この付近の集落のどなたかが、信仰をつづけていらっしゃるのでしょう。

主尊のまわりには、数体の小さな石仏が祀られています。これらの小さな石仏も主尊と同様に、それぞれの石仏専用につくられた岸壁の穴のなかに納められています。

ふところの深い国東半島の自然と、そのなかに溶け込む素朴な信仰が、心に癒しをあたえてくれます。

田原若宮八幡社の大イチョウ 大分県杵築市大田永松

大分県杵築(きつき)市にある「田原若宮八幡社(たわらわかみやはちまんしゃ)」に、庚申塔が祀られていないか立ちよりました。境内には庚申塔はありませんでしたが、石造りの仁王像と、立派な国東(くにさき)塔、そして大きなイチョウの樹が鎮座していました。今回は、その立派なイチョウの樹をご紹介します。

場所:大分県杵築市大田永松

座標値:33.5161057,131.5605621

 

入口だけをみると、まるで神社ではなく寺院のようなたたずまいの田原若宮八幡神社です。山門をくぐると正面に拝殿、左手側に大イチョウが鎮座しています。

横に枝葉を広げて「どっしり」というよりも、縦に大きなのが特徴のイチョウです。

拝殿と比較すると、そのイチョウの樹の大きさがはっきりとわかります。

老イチョウによくみられる、大きなコブや乳柱はみあたりません。爬虫類のような皮膚感が、幹からじゅうぶんに感じられます。

樹高:18m
目通り幹囲:5.0m
推定樹齢:300年以上

参照:人里の巨木たち

 

昭和49年(1974年)4月18日に、杵築市により天然記念物として指定されています。

正ノ宮正八幡神社の境内に祀られる庚申塔(⑥/⑥) 福岡県行橋市行事

福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、今回は6基目、最後の庚申塔をご紹介します。

 

↓下の図だと「庚申塔⑤」です。

 

 

場所:福岡県行橋市行事

座標値:33.7344112,130.9677344

 

最後6基目の庚申塔も主尊は「猿田彦大神」です。「大正十三年」の銘があり1924年の建立であることがわかります。

正ノ宮正八幡神社の境内に祀られる庚申塔(⑤/⑥) 福岡県行橋市行事

福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、今回は5基目の庚申塔をご紹介します。

 

↓下の図だと「庚申塔④」です。

場所:福岡県行橋市行事

座標値:33.7343889,130.9677356

 

猿田彦大神の文字の横に、はっきりとわかりやすく、「明治三十四年十月日」と刻まれているようです。明治三十四年は西暦1901年です。

 

正ノ宮正八幡神社の境内に祀られる庚申塔(④/⑥) 福岡県行橋市行事

福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、今回は4基目の庚申塔をご紹介します。

 

↓下の図だと「庚申塔③」です。

 

参道脇に下の写真のように庚申塔がならんで祀られています。

場所:福岡県行橋市行事

座標値:33.734417,130.9677582

 

三角形をした自然石に猿田彦大神と刻まれています。

猿田彦大神の文字のすぐとなりに、「文化十二」という文字が確認できます。文化十二年は西暦1815年です。

 

正ノ宮正八幡神社の境内に祀られる庚申塔(③/⑥) 福岡県行橋市行事

福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、今回は3基目の庚申塔をご紹介します。

 

下の図だと「庚申塔②」です。

↓こちらが、実際の参道の様子を写した写真です。写真の右側手前にまつられる庚申塔をご紹介します。

場所:福岡県行橋市行事

座標値:33.7343908,130.9677996

 

正面に「猿田彦大神」と刻まれていますが、側面・背面には文字は確認できません。

台座部分には庚申講に属する方たちの名前らしき文字が、ずらっと刻まれています。このなかに建立年も刻まれていたのかもしれませんが、文字を読み取ることはできず、建立年は不明です。