書籍『北九州の史跡探訪(北九州史跡同好会)』P.142にて、戸畑区に東光寺というお寺があり、ここに地蔵堂があるということが紹介されています。そのまま抜粋します。
むかし名護屋岬の浜にあった地蔵堂を移したもので、延命地蔵お抱え地蔵などがまつられて多くの崇敬者の参拝があっている。
名護屋岬は現在の戸畑地区にあった岬で、洞海湾につきでていたものと考えられます。
Googleマップのストリートビューにて下見をして、それらしきお堂があることを事前にしらべて、実際に足をはこんでみました。
東光寺がある町は、むかしながらの街並みがのこっており、路地は狭く、おそらく駐車場などはないだろうなと考えていました。しかし、ありがたいことに東光寺専用の駐車場があったため、ここに車をとめさせていただき、参拝しました。
北九州市の若松区と戸畑区の間にある洞海湾(どうかいわん)には、そのむかし「かば島」という小さな島がありました参照。通称、「中ノ島」というその島は小さいながらも人が住んでいました。その、かば島には若松城が建立されていました。この若松城の城主が森氏で、森氏が東光庵と地蔵堂を名護屋岬にたてたとつたえられています(参照:案内板)
東光庵はのちに消失し、あとにのこった地蔵堂は明治時代に東光寺の建立とともに、現在の地に移動されました。その地というのが北九州市戸畑区の北鳥旗町(座標値:33.900333,130.820327)です。地蔵堂は「帆柱四国二十一番札所」として再建されました。
またお抱え地蔵や不動明王像、弘法大師像なども合祀され、現在はこのようにたくさんの石仏がまつられることとなりました。
座布団のうえにまつられているのが、お抱え地蔵でしょうか。
わらじが足元にそなえられているのは弘法大師像でしょうか。
北九州市域をあるいていても、まちなかの路傍に、なかなかこのような石仏はみることはありません。工業都市となり街が整備されるとともに、路傍にまつられていた石仏は、寺院や神社にあつめられたのだと考えられます。
ということは北九州域においては、古い石仏をみつけるのには、神社仏閣を中心に足をはこぶ必要があると考えられます。