製鉄所での鉄鋼の生産には大量の水が必要といわれます。北九州市八幡製鉄所の操業が開始された当時、鋼鉄1トンの生産には200トン以上の水が必要といわれていました。そのため八幡製鉄所では創業当時から鉄鋼生産に必要な水の確保へ注力し、製鉄所構内だけにとどまらず、製鉄所ちかくの大谷地区や大蔵地区にも貯水池がつくられました。
八幡製鉄所は、さらに遠賀川にまで水を求めました。遠賀川から水を引くためにポンプ場設備もつくられました。
場所:福岡県中間市土手ノ内
座標値:33.811098,130.706813
これら数多くの水源地のひとつに、河内(かわち)貯水池があります。八幡製鉄所の第三次拡張計画にもとづき建設されたのが河内貯水池です。河内貯水池は八幡製鉄所第三次拡張工事の一環として、1919年(大正8年)5月に着工され、1927年(昭和2年)3月に完成したアースダムです。アースダムというのは、主に土をつかって、台形状に形成して建設するダムのことです参照。。
当時のお金で430万円がかかったといわれています。現在の価値に換算すると、約22.8億円(4300000円×530.709876543≒22.8億円;参照)もの巨額です。また、のべ90万人の人員を動員しました。
河内貯水池の堰堤をはじめ、貯水池の付属施設群にも、経済性と耐久性の観点から現地である北河内(かわち)産の石が多用されています。まわりの自然と、貯水池の建造物が調和できるように、石の積み方にも工夫がされており、切石積(きりいしづみ)、野面積(のづらづみ)・割石張(わりいしばり)、自然石張(しぜんせきばり)などの方法が駆使されています。
場所:福岡県北九州市八幡東区大字大蔵
座標値:33.837981,130.810598
これら河内貯水池堰堤と周辺施設群の設計者は、沼田尚徳(ひさのり)氏です。沼田氏は京都帝国大学第1期卒業者で、1900年(明治33年)に八幡製鉄所に就職し、のちに設計建設の責任者にまでなりました。
こちらの、全面が自然石で覆われた監視塔、兼管理事務所には沼田氏による「遠想」の書が掲げられています。
場所:福岡県北九州市八幡東区大蔵
座標値:33.838882,130.809800
貯水池と関連施設とともに水路もつくられました。河内水路は貯水池の水を、鬼ケ原浄水場(2021年現在はなくなっている)を経由して、八幡製鉄所に送るために造られました。鬼ケ原浄水場は、どこにあったのか具体的な場所を示す情報がみあたらなかったのですが、国土地理院地図で浄水場の目印である大きなふたつの水槽をみつけました。
場所:福岡県北九州市八幡東区天神町5
座標値:33.861611,130.803499
2021年時点では鬼ケ原浄水場はなくなっていますが、水路の途中には桁橋やアーチ橋などが架かっています。
また、貯水池には「河内五橋」と呼ばれる橋梁群がつくられました。もっとも名がしられていて、国指定重要文化財でもある南河内橋(レンティキュラートラス橋という型)はとてもめずらしい形をしています。
場所:福岡県北九州市八幡東区大字大蔵
座標値:33.827321,130.801074
私はこの形の橋をここでしかみたことがありません。そのほかにも河内貯水池には中河内橋(三連アーチの眼鏡橋)、北河内橋(大正11年に完成したアーチ橋)なども現存しています。
場所:福岡県北九州市八幡東区河内
座標値:33.838213,130.807294
参照した史料
『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.66-67
『北九州の近代化遺産(北九州地域史研究会編)』 P.116-118