大分県の国東半島(くにさきはんとう)には、独特の様式をもった石塔婆(せきとうば)があります。塔婆(とうば)というのは故人や先祖を供養する、追善供養の目的で立てられる塔のことで(参照)、日本全国でみられるものです。
国東半島の塔婆(宝塔の一種)は独特の様式で造られているので、特に、国東塔(くにさきとう)と呼ばれています。
国東半島の宝塔は、他の地域とどう違うのかというと、「ハスの花弁をかたどった台座」が余分に盛り込まれているという点です(参照:『国東半島の石造美術 (酒井冨蔵著)』P10。「ハスの花弁をかたどった台座」のことを「蓮弁(れんべん)」と呼びます。
Wikipediaでも国東塔の特徴について説明がなされています。
一般の宝塔が台座を有さないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花(かえりばな)または蓮華座、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴である(参照:国東塔 - Wikipedia)
国東塔は[返花(かえりばな)]と[蓮弁(蓮華座)]が台座として挿入されるというのが、他地域の宝塔にはない特徴だとわかります。
このような特徴をもつ国東塔が、大分県には約500基あり、そのうち9割が国東半島(くにさきはんとう)に集中するといわれます(参照)。
そんな国東塔のひとつである「照恩寺(しょうおんじ)の国東塔」を、2019年9月7日に訪ねてみました。照恩寺は大分県国東市の武蔵町にあるお寺です。照恩寺の国東塔のことを知ったのは、『国東半島の石造美術』P16-17を拝読してです。
場所:大分県国東市武蔵町三井寺
座標値:33.500979,131.707118
照恩寺の国東塔は、お寺の駐車場から境内に入っていくと、すぐ左手側にみつけることができました。
前述した国東塔の特徴と照らし合わせてみると、照恩寺の国東塔では、塔身の下には返花(かえりばな)だけがあります。
『国東半島の石造美術』P16では、台座部分が以下のように説明されています。
台座=高さ一二糎(センチ)、返花のみよりなり、一重複弁の八弁にして、醇化せる手法を有し優美である。塔身との間に細いくくり目を有する、このくくりと台座と基礎は一石である。
台座である返花と、その上の塔身との間に細い線が表されていて、この細い線のことを”くくり目”と表現しているようです。返花+くくり目+塔身の3つが一つの石でできているようです。
塔身部分には、銘が刻まれているようですが、わたしには判別が困難でした。塔身に刻まれている銘について『国東半島の石造美術』P16を抜粋します。
塔身の周囲には十一行に亘(わた)る銘文があるが風化のために僅かにその一部を読み得るに過ぎない、下の通り。
□□□八幡若宮御宝前大願主□□□□
□□法敬白□□□□□□石塔一基奉納
如法経□一乗妙法蓮華経
正和第五暦丙辰太簇下旬作
「太簇(たいそう)」とは正月のこと。
上記の内容によると、照恩寺の国東塔はもともと、照恩寺の東側約170mの場所にある椿八幡社に奉納されたものとのことです。奉納されたのは、正和5年…つまり1316年。
照恩寺国東塔は、明治維新までは椿八幡社に祀られていたのですが、廃仏毀釈により、国東塔は倒され埋められてしまいました(参照:『国東半島の石造美術』P17)。それを明治22年(1889年)10月に照恩寺からの要請で、現在の地に移され、祀られ直されました(参照:「照恩寺宝塔」案内板)。
現在のこる国東塔のなかでも、比較的保存状態が良好な点と、造形のすばらしい点から、この照恩寺の国東塔の評価は高いようです。そのため、国指定の重要文化財となっています。