場所:福岡県北九州市小倉南区木下
座標値:33.7737103,130.8675092
小倉南区の東谷 木下という地区で「椋の木まつり」という火難封じのお祭りがあるといいます。樹齢1000年をこえる椋(むく)の木の根元に石の祠が祀られており、ここに「木の神さま(椋の木の神さま)」を勧請(かんじょう)するという。その石祠(せきし)がこちらです。
石祠(せきし)の形態は、寄棟の造りです(参照:石仏探訪必携ハンドブックP34)
椋の木の神さまはどういう経緯で生まれたのでしょう。その云われが東谷郷土資料館のホームページに紹介されていました。
昔、木下が大火事の時に偉いお坊さんが通りかかり、お祈りして水の神 をよび、その力で大火を静めた時にこの木に神様がお降りになったという。
水の神さまが、この椋の木に召喚されたのですね。
石祠はレンガに囲われており、わたしたちが訪れたときには、御幣(ごへい)が祠の前にそなえられ、椋の木の胴回りには注連縄(しめなわ)がまかれていました。
椋の木まつりはいつ行われる?
『北九州市史(民俗編)』P608によると、毎年、2月20日、7月20日、12月20日に椋の木まつりは行なわれるようです。このまつりは、木下の集落でのみ行なわれるお祭りで、木下の集落を3組にわけて、それぞれの組を当番制にして祭りの担当を決めるそうです。
2月20日の祭りを1組、7月20日と12月20日を1組として、順にまつりを受け持つということです。
祭りを受け持つ座元(ざもと)
祭りを受け持った組では、リーダーとなる「座元(ざもと)」というかたが、おみくじで決められます。祭り当番組の各戸から男女ひとりずつが、この座元の家へ訪問します。料理をするためです。さらに男性は、椋の木に注連縄(しめなわ)をはりめぐらし、祠にお供え物をそなえます。
祭りの当番ではない組のかたたちは、祭りの前日に、米三合とお初穂料500円をおさめるそうです。
夕方から僧侶が登場
夕方になると座元の家に僧侶が訪問します。床の間にある御幣を切り、白米一升と御神酒、野菜などをおそなえし、「椋の木の神さま」を床の間へお招きします。
僧侶は座頭琵琶の音にあわせながらお経をあげます。組のかたたちは「椋の木の神さま」に参拝します。
儀式後はごちそう
儀式がおわると直会(なおらい)がはじまります。直会というのは、会食、あるいは宴会と呼ばれるようなものでしょうか。ようは、ごちそうを組のみなさんで食べるということです。夜通し会食は行なわれ、夜更けの11時ごろになるとアズキ粥が出て雑魚寝をして夜を明かすということです。
参照:『北九州市史(民俗編)』P608-609
このお祭りは現在でも行われているのでしょうか?ネットで調べるかぎりでは、詳細なまつりの情報はひっかかりません。現在はもう途絶えたのかもしれません。