福岡県を流れる遠賀川。その遠賀川に犬鳴川が合流する直前の場所に、花の木堰(はなのきぜき)という取水施設があります。今では立派なコンクリート製の施設になっていますが、造られた当時のレプリカが花の木堰ふきんの土手にあると聞いて、写真を写しにいってみることにしました。
↑上の写真の手前に写っているのが、レプリカの花の木堰。奥の方、犬鳴川にかかっているのが、現在機能している花の木堰です。
堰が建設されている場所はこんな感じの場所↓ 犬鳴川と遠賀川が、花の木堰のちょっと北側で合流しています。地図:Google マップ
花の木堰のレプリカを反対側からみるとこんな感じです↓
花の木堰は、犬鳴川に仮井手として堰を立てたのが始まり。1656(明暦2)年につくられたと言われています。川の水をここで田んぼの方向へ引いてくる目的でつくられました。
遠賀川中流の東側は岡森堰が、西側は花ノ木堰が灌漑しました。1976(昭和51)年に、現在の立派な可動堰が完成しました。レプリカの堰は実際のものより縮小してつくられたのだそうですが、どうやって堰として機能していたのか、浅識のぼくではよくわかりません。
遠賀川中流の東側は岡森堰が、西側は花ノ木堰が灌漑しました。1976(昭和51)年に、現在の立派な可動堰が完成しました。レプリカの堰は実際のものより縮小してつくられたのだそうですが、どうやって堰として機能していたのか、浅識のぼくではよくわかりません。
石垣のなかに埋められるように、二本の石柱が立っていますが、この二本の石柱には凹の溝がほられていました。わからないなりに、堰の機能を想像してみるに、この溝部分に木製の板かなにかを差し込んで、水量を調節していたのかもしれません。こういう堰が犬鳴川を横切って、数か所建設されていたのかもしれません。水が必要な時は、その数か所の堰のいくつかに板をはめ込んで、堰の上流に溜まった水を水田の方向へ引いていたのでしょう。今のように水道が発達していない時代は水を確保するのにとても難儀していたそうです。
「花の木堰の大公孫樹」(はなのきぜきのおおいちょう)と呼ばれるこのイチョウの樹は、遠賀川河岸で最大のものといわれています。石炭を運ぶ川艜(かわひらた)が往来していた時代、この大きなイチョウの樹は船頭たちの目標にされていたんだそうです。