仁王像は通常こんな感じ↑の恐ろしい形相をしてます。
愛嬌のある国東半島の仁王像
でも国東半島の仁王像はこんな↓に愛嬌があるものも。この仁王様がいるところは、大分県豊後高田市の応利山(大折山;おおりさん)。いまでは訪れる人が少なくなった無人のお寺、報恩寺(ほうおんじ)の参道におられます。
1729年に、松本吉左衛門と曽右衛門によって造られたもの
国東半島のお寺には各所、表情のちがう仁王様がいます。石工によって、その表情や体つきが違うので、仁王様を見つけてみるのもなかなか楽しいものです。
阿蘇の比較的やわらかい溶岩が露出していたことと、仏教文化が栄えていたことが、国東半島にたくさんの石造美術が生み出された要因になったようです。
山頂付近の祠はみどころのひとつ
応利山の中腹にある報恩寺は廃寺となってしまいましたが、昔は旧8月1日に風の神様を祭る行事が開かれていたそうです。宇佐神宮にも「風除祭」がありますが、これと同じ数少ない祭りのひとつでした。下の写真↓が「風除大権現」と呼ばれる風の神様を祀る祠です。応利山の山頂付近にあります。297mと低い山なので、ときどき運動をするために地元の方が登っているのをみかけます。この祠まで登ってきて、お参りをして、また下りてゆくというコースをとっているようですね。
80代の女性に「わたしが子どもの頃は、応利山ふもとに住んでいた人たちが、旧8月1日に山に集まってお祭りをしていた」ということを聞いたこともあり、昔から地元の人に愛されている山なんだな・・・という感じがします。
↑風の祠に通じる石段
↑応利山 中腹から眺める豊後高田市と周防灘
報恩寺の歴史はながくて、1228年にはもう建立されていたとの記録が残っています。800年近い歴史があるんですね。何も知らないと、「小高い山」でしかない応利山ですが、調べてみると由緒ある場所のようです。
こんな場所がたくさん国東半島には残っていて、ボチボチと探して回るのが国東半島巡りの魅力のひとつだと思います。