日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

志波宝満宮(しわほうまんぐう)の庚申塔 福岡県朝倉郡杷木志波

福岡県朝倉郡にある志波(しわ)宝満宮の本殿裏側に庚申塔を見つけることができました。そもそも、この志波宝満宮へ行こうと思ったのが、お宮を取り囲む杜が天然記念物に指定されているためでした。

場所:福岡県朝倉郡杷木志波

座標値:33.363163,130.770949

 

庚申塔は四角柱のシンプルな形のもので、庚申塔に向かって右側面に「寛政十戊午十一月吉日」と刻まれており、西暦1798年の11月に、この庚申塔が建てられたことがわかります。

 

周囲の境内環境に目を向けてみます。大きな岩がゴロゴロと転がっており、この大きな岩をうまく利用して、お宮が建てられています。

境内を取り囲む杜には…暖地性の植物が生い茂っており、ここを北限とする貴重な種類もある…ということです(参照:朝倉市ホームページ 志波宝満宮社叢)。そのために、この杜自体が、福岡県の天然記念物に指定されています。

このお宮があるのが標高43mほど。お宮から西へ100mほどの場所に流れる筑後川の標高が約28m。その差は15mほど。

筑後川から急な階段を何段も上りつめた場所に、志波宝満宮境内があります。小高い岩山の上に建てられたお宮という感じです。

宮野神社の庚申塔 福岡県朝倉市宮野

2019年9月29日の記事「根元から清水が湧く大楠(おおくす) 福岡県朝倉市宮野」でご紹介した大楠(おおくす)を訪ねた際、途中で「庚申塔が祀られているのではないか」と思える神社があったので立ち寄ってみました。

 

その神社の境内に、予想どおり1基の庚申塔と1基の道祖神が祀られていました。

場所:福岡県朝倉市宮野

座標値:33.394167,130.730203

 

宮野神社の鳥居をくぐってすぐ左側に、なんの樹かはわかりませんが老木があります。その老木を挟むようにして、老木の両脇に石塔が祀られています。

神社本殿側に向かって立った場合、老木の左側に祀られているのが、こちらの庚申塔↓

「幸神」とのみ刻まれ、建立年月などの他の銘は確認できませんでした。

 

一方、老木の右側に祀られる道祖神には、左側面に何か文字が刻まれています。

文字のほとんどを判別することができませんが、部分部分で読み取れる文字があります。「門?四丁亥年」ときざまれているように見えます。

 

日本の元号「〇〇四年」で、ちょうど丁亥(ひのとい)という干支が来る年はどこなのか調べてみました。また「〇〇四年」の「〇〇」にあたる文字で、「門」に近い文字がある元号は?…

 

「明和四年」ではないかと予想しました。明和4年だと西暦は1767年となります。この年が道祖神の建立年と予想されます。

九州で唯一 本物のジェット機が展示されている駅 福岡県朝倉郡筑前町高田

福岡県朝倉郡にある大刀洗(たちあらい)駅に、本物のジェット機が展示されているという情報を、『九州の鉄道おもしろ史(西日本新聞社)』のP64-67で得て、実際に行って、見ることにしました。

 

そのジェット機というのは「航空自衛隊T33ジェット練習機」です。太刀洗駅 駅舎の屋根と同じ高さの屋外に展示されているため、一見すると、屋根の上にジェット機が乗せられているように見えます。

場所:福岡県朝倉郡筑前町高田

座標値:33.413688,130.619137

 

どうして駅にジェット機が?

どうして駅舎にジェット機が展示されているのか?『九州の鉄道おもしろ史(西日本新聞社)』P64-65には、その経緯が紹介されています。その経緯を簡単にご紹介すると以下のようになります。

 

・太刀洗駅は元国鉄甘木線のひとつの駅だった

・1986年に国鉄から甘木鉄道会社へ経営権がうつった

・経営が合理化

・地元建設会社社長の淵上氏が太刀洗駅を借り受けた

太刀洗駅の一部を太刀洗平和記念館とした

記念館には太刀洗飛行場関係の遺品や写真が展示された

・淵上氏はT33ジェット機を自衛隊から払い下げた

・駅舎前にT33を展示した

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旧駅舎の前にジェット機が展示されている

ジェット機を少し引いた場所から撮影してみました↑ 後ろの建物の看板には「太刀洗レトロステーション」とかかれています。この建物は昔つかわれていた駅舎だそう(参照:P65)で、現在使用されている駅舎はこちらです↓

太刀洗駅はそもそもどんな場所だった?

太刀洗駅の南側約170mの地点に「筑前町立大刀洗平和記念館」が建設されています。もともと駅舎の一部を淵上氏個人が記念館としていました。2009年に筑前町がこの記念館を移築しました。

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駅と(新)記念館の位置関係

でも、どうして太刀洗駅周辺で、このような記念館を淵上氏が造ったのでしょう?太刀洗飛行場が1919年に、この場所に建設されたためです。しかし飛行場が建設された当時は、まだ、太刀洗駅は存在していませんでした。

 

軍の飛行場があったために、これに伴い、飛行場ふきんの地域(主に甘木地区)に、高射砲隊・陸軍病院などの軍施設が建設されていきました(参照:P66)。これら施設へ物資を輸送する目的で、現在の甘木線が建設されました。1939年のことです。甘木線の開通とともに、太刀洗駅も営業を開始しました。

 

太刀洗駅周辺地域は、軍の飛行場と、それに関連する施設があったのだということがわかりました。飛行場は太刀洗駅の南東方向へ約500m行った場所…現在はキリンビール工場の敷地となっている…にあったそうです(参照)。このような経緯から、太刀洗駅近くには戦争資料がたくさん展示されている「平和記念館」が建設されたのですね。

福岡県では珍しく像が刻まれた庚申塔 福岡県久留米市城南町

わたしは福岡県北部地域にすんでいるため、福岡県の南部地域へ足を運ぶことがあまりありません。福岡県の南部地域というのは、筑後地域のことです。具体的な市名をあげてみると、久留米、うきは、八女(やめ)、柳川、大牟田(おおむた)、筑後、小郡(おごおり)、広川などです。

 

2019年9月28日(土)、1日時間ができたので、あまり足を運ぶ機会のない久留米市へ行ってみることにしました。久留米市の史跡をさがしていると、Google map上に「石造青面金剛像」というスポットを探すことができました。

場所:福岡県久留米市城南町

座標値:33.320669,130.504092

 

日吉神社境内に、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が刻まれる庚申塔が祀られているとのことです。日吉神社境内には、恵比須様、稲荷様などの神さまも、所せましとばかりに祀られています。大東亜戦争中に、日吉神社は焼けてしまったそう(参照)で、その際、境内が狭くなりました。

そのような境内の一画に、青面金剛像が祀られるお堂がありました↓

お堂にはカギがかけられているため、ガラス越しに庚申塔を拝観します。一面六臂(いちめんろっぴ:1つの顔に6つの腕)の青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が主尊として刻まれています↓

青面金剛の両脇には二童子がひかえています。さらに青面金剛は邪鬼をふみつけています。

 

庚申塔の土台部分に目をうつすと、二鶏三猿が刻まれています↓

庚申塔の側面や背面は拝観することができないため、お堂の横に立てられている案内板を読んでみます。案内板によると、台座に「元文五庚申年十月二十三日建之」と刻まれているそうです。

 

元文五年は西暦1740年。この年の干支(かんし)は庚申(かのえさる)です。やはり”文字塔の多い筑後地方では非常に珍しく”とあります。

中原八幡宮の庚申塔 福岡県北九州市中原東

『北九州市史(民俗)』のP664に、北九州市戸畑区の中原という地区に”五輪大善神と刻まれる二基の石塔がある”という情報が掲載されていました。五輪大善神という神さまを探しに戸畑区中原東へ行ってみました。

 

中原東地区を探してみましたが、五輪大善神らしき石塔はみあたらず、「中原八幡宮」にも足をのばしてみました。結局、中原八幡にも目的の石塔はみられませんでした。しかし、八幡さまの参道脇に庚申塔をみつけることができました。

場所:福岡県北九州市戸畑区中原東

座標値:33.896578,130.849080

 

興玉神(おきたまのかみ)と、のみ刻まれたシンプルな庚申塔です。建立年月などの銘は刻まれていませんでした。

根元から清水が湧く大楠(おおくす) 福岡県朝倉市宮野

福岡県朝倉市を車で通る機会があったので、朝倉市になにか珍しいものはないか調べてみました。朝倉市(福岡県)のホームページを拝読していると、志賀様の大楠(しかさまのおおくす)と呼ばれる巨木が、福岡県朝倉市の宮野という地区にあることが紹介されていました(参照)。

 

この大楠は、「県指定天然記念物」の項で、朝倉市にある10個の天然記念物のひとつとして紹介されています。立ち寄りやすそうであったため、「志賀様の大楠」を訪ねてみることにしました。

場所:福岡県朝倉市宮野

座標値:33.395807,130.731885

 

朝倉市宮野のなかの、中宮野という集落内をはしる小さな道沿いに小川がながれており、小川の脇に祠が祀られていて、その傍に巨大な樹が小川にせりだすように生えていました。

樹の幹は地面から2mまでの部分が大きく湾曲しています。2mより高い部分は直立し、空いっぱいに枝葉をひろげています(参照:案内板)。

 

「志賀様の大楠」の名の由来である志賀様が、巨樹の傍の祠に祀られています。この祠が祀られる場所が志賀神社で、斉明天皇(さいめいてんのう)が海上安全を祈って三神を奉祀したという伝説が残っています(参照)。

”斉明天皇が海上安全を祈る”というのは、どれくらい時代の話なのか調べてみました。「Wikipedia-斉明天皇」で、「朝鮮半島への軍事介入」という項があり、この出来事がおきた際に安全祈願をされたのではないかと推察されます。そうすると”海上安全を祈って三神を奉祀した”というのは、西暦660年頃の伝説と考えられます。

大楠の根元は大きな空洞ができています。この箇所から清水が湧いています。清水が湧いている場所まで石段が造られていて、下りていけるようになっています。水道ができる前は、この水を生活用水として利用していたのでしょうか。

案内板に紹介されている樹のデータは以下のとおりです。

・胸高周囲 10.0m

・樹高 22.0m

・根廻り 14.8m

・枝張り(東西) 12.0m

「志賀様の大楠」を拝観したとき、地上から2mほどの幹部分の”うねり”に圧倒されました。樹全体は「く」の字に曲がっていて、この特殊な形状と、幹のどっしり感が、この楠の存在感をおおきく引き出しているように感じました。

 

樹の傍には、「水神」と刻まれた石塔もみることができました。

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樹の根元に祀られる水神様

あこがれの由布岳

2014年12月23日に、由布岳(ゆふだけ)で撮った写真です。雲海の向こう側に見えるのは九重連山です。

 

この写真を撮ってから、もう5年近く経過しています。由布岳へは、この時以来登っていません。大分県に住んでいたときは、仕事が休みの際、気軽に由布岳や九重連山にでかけることができていました。福岡県に住んでいて、また、子どもがまだ小さい現在の生活では、時間的・物理的制約のために、気軽に「登山でも行こう」というわけにはいきません。
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いつかまた、このような景色を見てみたい…と夢見る日々が続いています。