日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

御所ヶ谷(ごしょがたに)の神籠石(こうごせき) 福岡県行橋市

場所:福岡県行橋市津積 御所ヶ谷

座標値:33.675334,130.932516

 

福岡県行橋市の御所ヶ岳という山の中腹に、むかし山城が築かれていたといいます。その山城の城壁の一部が発掘され、城壁外周が約3㎞という長大なものだったということがわかってきたそうです。

上の写真はその一部。土塁の基礎補強のために並べられた列石です。この列石の上に土塁が築かれたそうです。

 

この神籠石がみつかっている御所ヶ谷周囲は、いまでは整備されたハイキングコースとなっていて、ちょっとした山歩きには良いコースです。コースの各所には仏様がまつられています。

ふもとの駐車場から、城壁があった箇所を周遊するコースは長いコースとなりますが、これよりも短いコースで歩くことも可能です。

 

参照:PDF(御所ヶ谷神籠石パンフレット)

http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/doc/2015060100018/files/p_gosho_kogoishi.pdf

 

コース途中でみることができる「中門」は迫力があります。山の中に、こんな立派な石垣が突如としてでてきます。

豪華客船「クイーン・メリー2」が北九州港へ初寄港

豪華客船「クイーン・メリー2」が今年(2019年)に、日本へ寄港するのは、福岡県北九州市だけなんだそうです。せっかくなので、仕事おわりに拝見しにいきました。場所は北九州市若松区のひびきコンテナターミナル(若松区響町3丁目)。

入港が朝の8時だったのですが、約2時間遅れで「クイーン・メリー2」は入港したそうです。その関係で出航が18時予定だったのが、結局20時近くとなりました。わたしにとってはこの遅れがありがたく、このおかげで、「クイーン・メリー2」を拝見することができました。

 

想像していたよりもはるかに大きな船で、夜だったのもあり、とても美しかったです。急いで、ひびきコンテナターミナルまで行ったので、一眼レフは持っていけなくて、コンパクトデジカメ(FUJIFILM FinePix XP130)で撮影。周囲をみると、一眼レフ・三脚持参で撮影されている方々もおられました。

さすがにコンテナターミナルだけあって、じゅうぶんな駐車場が準備されており、ゆったりと駐車することができました。20時の出航にあわせて花火があがりましたが、もうそのころには、渋滞をさけるために、たくさんの人たちが早々に引き上げていっていました。

わたしたちも、追われるように車を急いでターミナルから出庫しました。後ろに花火の音を聞きながら、なんとか渋滞を逃れ出庫することができました。たくさんの屋台が出ており、たくさんの方たちがクイーン・メリー2を見送っていました。

それなりに寒い夜だったのですが、たくさんの方達の熱気と屋台の熱で、クイーン・メリー2の前の港は、ほんのりと暖かかったです。

庚申碑と刻まれている?庚申塔 福岡県福津市本木

場所:福岡県福津市本木 県道30号線沿い

座標値:33.756017,130.537291

直線距離で、JR東福間駅から南東へ3.1㎞ほどの場所に本木という地区があります。この地区にいくつか庚申塔が祀られているのを確認することができました。そのうちのひとつがこちらの庚申塔です。県道30号線沿いに祀られていました。

庚申塔の表面の文字は、何と刻まれているのかはほとんどわかりません。しかし、一番上の文字には「庚申」という文字の「庚」の「广(まだれ)」とおもわれる文字が確認できます。ぜんぶの文字数が、おそらく三文字分と考えられますので、「庚申碑」と刻まれていたのではないでしょうか?

 

庚申塔に向かって右側面には「文政五年」の文字が見えます。文政五年は1822年。

「文政五年」の下に刻まれる文字はあまり見慣れない文字です。「在 嵐?」でしょうか?

 

一方、庚申塔に向かって左側面には「壬午(みずのえうま)三月吉日」と刻まれているように見えます。文政五年の干支が壬午なので、刻まれている文字と整合します。

カミサマのいる場所 福岡県岡垣町高倉

場所:福岡県遠賀郡岡垣町高倉

座標値:33.843334,130.600767

福岡県遠賀郡岡垣町にある高倉神社。その神社から南へ400mほど下った場所に、「高倉宮」と表示される額のかかげられた白い鳥居があります。白い鳥居をくぐると樹々にかこまれて薄暗い広場に、三つの台座が設置され、それぞれの台座には丸石が祀られていました。

カミサマのいる場所 福岡県水巻町立屋敷

場所:福岡県遠賀郡水巻町立屋敷3丁目 八剱神社の大イチョウ

 

「注連縄」と書いて「しめなわ」と呼ぶことを、最近知りました。注連縄は、”神聖な場所との境界を意味するもの”と、なんとなく知ってはいましたが、そもそもどんな意味をもつものなのでしょう?『日本人が知らない 神社の秘密 (彩図社文庫)』P18にわかりやすく説明がされていたので、まとめてみます。

 

注連縄の語源は「占める」、つまり「神の占める場所」を意味するのが注連縄だそうです。もともと日本人は、ご神体と考えた巨木や巨石に縄をまいただけのものを崇めていたといわれています。自然のなかにあったものを神とし、社が建てられるようになったのは、後々になってからなのですね。

 

日本最古の神社といわれている大神神社(奈良県桜井市)は、三輪山という山がご神体です。また富士山本宮 浅間(せんげん)大社は富士山がご神体なのだそうです。

 

これらは山を神さまとして崇めている例ですが、こんなに壮大なものではなくても巨木や巨石、森があった場所に神聖さを感じ、祭祀をとりおこなったり、崇めてきたことが、神社のもととなったのですね。その行為のひとつに注連縄を巻くという行為がありました。そのため古代から注連縄は、”あの世とこの世を分かつもの”、”日常と非日常を分かつもの”として用いられてきたようです。