日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

2017年 芦屋町の砂像展に行ってみた 福岡県遠賀郡

この記事を書いている時点では、もう砂像展は終わってしまっていますが、備忘録として写真をアップしておきます。

 

場所:福岡県遠賀郡芦屋町大字芦屋1455-284

「芦屋海浜公園レジャープールアクアシアン内」

地図:Google マップ

 

 

福岡県遠賀郡芦屋町で毎年行われている砂像展。2017年は10月20日から11月5日まで開催。夜は20時半まで入場が可能だったので、仕事が終わった後にいってみることにしました。「芦屋海浜公園」で、造形の細かい砂像彫刻を、ザザっと見ることができます。

 

大人の入場料は500円。駐車場(無料)は広々としているので、おそらくいつ行っても車を停められなくて立ち往生なんてことはないでしょう。

↑「ベネチアのカーニバル」アグネセ・ルジーテ

 

うわさによると、昨年よりも、砂像彫刻の見ごたえが格段にあがったとのこと。たしかに、「これを砂でつくったの?」と思えるほどのクオリティ。いったい、この作品どれくらいの時間をかけてつくったんでしょう。

 

入場門から「国際交流ゾーン」→「コンテスト会場」→「プロアーティスト会場」の順で周っていくようです。

プロの作品から、福岡教育大・九州産業大学などの大学生の作品、芦屋中学校美術部の作品など、けっこうたくさんの作品がずらっと並んでいました。見ごたえありましたよ。

 

↓これらの作品はプロアーティスト作品の数々。

↑「猫祭り」大工園 望

 

↑「リオのカーニバル」スー・マクグリュー

 

↑「青森ねぶた祭り」レオナルド・ウゴリニ

 

夜間のライトアップ時に行ったので、ほんとうの砂の質感は伝わりにくかったです。でも、作品の細かさと、作品の大きさには圧倒されました。

↑「唐津くんち」ヨーリス・キヴィッツ

 

展覧会場横には、露店街も開設されてました。晩御飯を食べたあとだったので、安かったポテト100円、フランクフルト100円を子どもと一緒に食べて、小腹をみたしました。

 

来年もまた、違う作品を見ることができそうなので、行ってみたいです。前売り券だと、通常500円の入場料が350円になるそうなので、前売り券で準備しておきたいところです。

 

「あしや砂像展 前売り券」で検索すると、前売り券を売ってくれる場所は、芦屋町内だと”芦屋町役場”、”芦屋町観光協会”、”国民宿舎マリンテラスあしや”なんだそうです。

犬鳴川から命の水を引いてくれていた「花の木堰(はなのきぜき)」 直方市植木

福岡県を流れる遠賀川。その遠賀川に犬鳴川が合流する直前の場所に、花の木堰(はなのきぜき)という取水施設があります。今では立派なコンクリート製の施設になっていますが、造られた当時のレプリカが花の木堰ふきんの土手にあると聞いて、写真を写しにいってみることにしました。

↑上の写真の手前に写っているのが、レプリカの花の木堰。奥の方、犬鳴川にかかっているのが、現在機能している花の木堰です。

 

堰が建設されている場所はこんな感じの場所↓ 犬鳴川と遠賀川が、花の木堰のちょっと北側で合流しています。地図:Google マップ

 

花の木堰のレプリカを反対側からみるとこんな感じです↓

花の木堰は、犬鳴川に仮井手として堰を立てたのが始まり。1656(明暦2)年につくられたと言われています。川の水をここで田んぼの方向へ引いてくる目的でつくられました。
 
遠賀川中流の東側は岡森堰が、西側は花ノ木堰が灌漑しました。1976(昭和51)年に、現在の立派な可動堰が完成しました。レプリカの堰は実際のものより縮小してつくられたのだそうですが、どうやって堰として機能していたのか、浅識のぼくではよくわかりません。
 
石垣のなかに埋められるように、二本の石柱が立っていますが、この二本の石柱には凹の溝がほられていました。わからないなりに、堰の機能を想像してみるに、この溝部分に木製の板かなにかを差し込んで、水量を調節していたのかもしれません。こういう堰が犬鳴川を横切って、数か所建設されていたのかもしれません。水が必要な時は、その数か所の堰のいくつかに板をはめ込んで、堰の上流に溜まった水を水田の方向へ引いていたのでしょう。今のように水道が発達していない時代は水を確保するのにとても難儀していたそうです。
 
 
ここからは余談で、花の木堰の傍には大きなイチョウの樹があります。こちらがそのイチョウの樹↓

「花の木堰の大公孫樹」(はなのきぜきのおおいちょう)と呼ばれるこのイチョウの樹は、遠賀川河岸で最大のものといわれています。石炭を運ぶ川艜(かわひらた)が往来していた時代、この大きなイチョウの樹は船頭たちの目標にされていたんだそうです。

 
 

木屋瀬宿(こやのせしゅく)の追分石(おいわけいし)

街道が左右に分かれる道標として建てられた石を追分石(おいわけいし)といいますが、福岡県八幡西区にある木屋瀬宿(こやのせしゅく)にも、追分石の痕跡が残っています。
 
場所:福岡県北九州市八幡西区木屋瀬4丁目

↑これはレプリカの追分石です。もともとの追分石には「是従右赤間道左飯塚道 元文三年」と銘がされていました。
 
 
昔の、実際の追分石の写真が遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス 6)という書籍に載っていたので、メモとしてアップしてみたいと思います。

これがその写真です。元文3年は西暦に直すと、1738年です。2017-1738=279年も前に、この追分石は立てられたのですね。
 
上の写真の奥へ進む道を進むと、遠賀川へと出ることができます。遠賀川手前に、興玉神社...つまり、猿田彦大神が祀られる神社があり、街道を行く旅人の安全が祈願されたと考えられます。

ぜんざい川と呼ばれていた遠賀川 御牧大橋の夜景 三脚 長時間露光

福岡県の筑豊地区を貫いて流れる遠賀川(おんががわ)。今では川の水は濁っていますが、大正時代まで、鮎や鮭がいるような清流だったそうです。川底の砂がすきとおって見え、魚の数を数えることができました。

 

大正末期から炭坑が盛んになり、採掘された石炭を洗った水を遠賀川に流すようになってから、遠賀川は真っ黒な流れとなってしまったそうです。やがて、「ぜんざい川」と呼ばれる黒い水の川になりました。

今、遠賀川の汚染な割合として一番多いのが生活排水。おそらく、炭鉱全盛時代と比較して、汚染度は低くなってきていると思いますが、川の水は依然として濁ったままです。

 

そんな遠賀川も、夜、電燈の灯りを反射している姿は美しいです。

 

久しぶりに三脚に一眼レフをセットし、バルブで約30秒間露光して撮ってみました。ホワイトバランスは”電球”。

 

撮った場所は、遠賀川河口近くの御牧大橋。ざわざわしていた水面も、長時間露光で滑らかになり、肉眼では見えない景色を写してくれました。夜でも三脚を使うと、かなり鮮明な映像が撮れるんだと改めて感じた、久しぶりの夜景撮影でした。

2017年10月14日 ケベス祭りに行ってみた② 大分県国東市 岩倉八幡社

今回の記事は、ケベスと当場の攻防場面からです。前回は、ケベスが岩倉八幡社の境内を歩き、当場の守る火を盗もうとしていました。

 

ここぞ!というときになると、ケベスは火の方へ体勢を整え走りだします。

だいたいの祭りの流れは決まっているとはいえ、ケベスが走りだすと、観客からは「おおっ」と歓声があがります。

いっせいにカメラマン達がシャッターを切ります。

ケベスの勢いに押されまいと、当場ががっちりと身構え、ケベスにサスマタで対抗します。

 

ケベスは一度当場に押し戻されても、隙をみてまた火の方向へと飛び込もうとしていきます。でも、そのつど当場たちに食い止められ、さらに神職にも押し戻されます。

ケベスは、一度は当場をかきわけ、火のもとへたどりつくことがありますが、途中でまた神職に引き戻されます。

ケベスが火のもとへ突進するのは合計9回。ケベスが火のもとへたどり着き、燃えるシダをかき回すのは、形式上では3度あるんだそうです。突進9回目に、ついにケベスは火を奪うことになっています。

 

火を守ろうとする当場たちも、かっこいいですね↓

 

9回目の突進…火を奪う段のケベスは、これまで以上に激しく、燃えるシダをかき回します。すごい迫力ですね。

これを合図に、火を奪われた当場たちは、火を守る立場から一変。当場は、束になったシダに火をつけ、観客へとばらまき始めます。

ここから、会場はかるいパニック状態になります。あちこちで悲鳴や歓声があがります。それはそうでしょう。こんな大きなタイマツが迫ってくるんですから。

さすがに、火を押し付けられるなんてことはないですけど、「オラオラ」と当場からけん制され、さらに火の粉が飛んでくるので化学繊維の服は燃え、穴があいてしまいます。ぼくの服も、いつのまにか背中部分が焼けてしまってました。

火の玉を群集にむかって飛ばすけっこう激しい当場もいます。悲鳴があがりはしますが、このドキドキ感がたまりません。周囲の観客のみなさんも、どこか楽しそうです。

この火の粉がふりかかると、一年無病息災となるそうです。

このような、火に追いかけられる時間が15分ほど過ぎると、ケベスが境内の三か所でサスマタの先についた”わらづつみ”を、地面に3回たたきつけます。

 

すべての火が消えるころ、神職が締めの太鼓をたたきます。これを合図にケベス祭りは終了します。

 

感じたことと反省点

今回は、開催日が土曜日ということもあり、ぼくは昼までの仕事を終えて、はやいうちから会場となる岩倉八幡社へ着くことができました。16時ころです。境内での祭りがはじまったのが19時ごろ。3時間前の到着にもかかわらず、もうすでにたくさんのカメラマンさんが場所取りをされてました。みなさん三脚をたてており、だいたい最前列は埋まっていた状態です。

 

実際会場に入ると、3時間の待ち時間は、ほとんど気にならないくらいワクワク感が増してきていました。ケベスを最前列で写真を撮りたいならば、今後も3~4時間前に会場に到着する必要があると感じました。

 

2017年は小雨がふったりやんだりの、はっきりしない天気でした。でも祭りの大部分では雨はあがっていてくれました。雨が降ってきたときにそなえ、カッパを用意していましたが、火の祭りなので、仮に雨がそれなりに降っていてもカッパは着なかったと思います。穴が開いてしまいますから。傘もささなかったと思います。

 

もし今後、祭りが雨天の場合は、カメラが濡れないよう、カメラ用の防水袋を用意しておいたほうがいいかも…と思いました。