日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

めずらしい記銘の庚申塔 「巷大神」 

場所:福岡県糸島市志摩 野北 間少路

地図:Google マップ

庚申塔に刻まれている碑銘には、いろんな種類があるんだなと、「志摩町庚申塔」(志摩町教育委員会)を読んでわかってきました。今回の庚申塔は碑銘が「巷大神」。

 

おそらく「こうたいじん」と呼ぶんでしょう。巷は「こう」または「ちまた」と読むそうで、意味は「人家の集まった中の小道」、「一般世間。庶民の世界」、「道が分かれる所」。

 

庚申塔(こうしんとう)の庚と、巷の「こう」をかけたんでしょう。それと、祀られている場所から「道が分かれる場所」に祀られる神様、という意味も含めて「」の文字を当てたと考えられます。

志摩町庚申塔」(志摩町教育委員会)では、この庚申塔の詳細な情報が記載されています。

建立年:弘化4年(1847年)

銘文:弘化四年丁未八月

石材:花崗岩

現存高×最大幅(㎝):119×58

 

 

志摩町内の庚申塔の材質は、ほとんどが花崗岩(かこうがん)で、このあたり一帯が溶岩で形成された地域だということがわかります。

 

それにしても、巷大神という碑銘は初めてお目にかかりました。

山口県の美しい棚田 東後畑棚田(ひがしうしろばたたなだ)

ずいぶんと遠い場所まで、棚田の夕景を、写真に撮りにきました。でも、ほんとに来てよかったと思います。それくらい、この景色を前にしてインパクトを受けました。

 

場所:山口県長門市(ながとし) 油谷(ゆや)後畑(うしろばた)

地図:Google マップ

後畑(うしろばた)という地区に着いたのは、日がもうすぐ沈むという18時30分頃。でも、まだまだ強い日光が、海に反射してギラギラしていました。その時間帯に写真を撮っても、海からの光が強すぎて、棚田の美しい景色の、いい部分がうまく引き出せないように感じました。

30分くらい待って、日が水平線に沈み光が弱くなると、夕日特有の赤い光が棚田を照らし始めました。あまり光が弱くなると、棚田の凹凸がはっきりとしなくなり、のっぺりとした印象となるようです。

 

日が沈み、でも雲に反射する夕日で、比較的弱く田んぼが照らされる時間帯が、いちばん美しいように感じました。

東後畑棚田の写真をネットで検索してみると、稲の苗が伸びきっていない時期…田んぼにはられた水がまだ稲に隠れていない時期…の写真が多くでてきます。棚田の写真は、その時期の写真がやっぱりいちばん綺麗なんでしょうね。

 

特にここの棚田は、日本海に浮かぶイカの漁火(いさりび)といっしょに、水のはられた水田を撮るのがベストコラボのようです。「【棚田情報】「東後畑の棚田」が水を張り始めました(4月14日現在)」こちらのサイトを見ると、だいたい6月中旬ごろが、写真の撮り頃なんだそうですよ。

相補関係

福岡県北九州市にある若戸大橋(わかとおおはし)。洞海湾をはさんで、若松区戸畑区を結ぶ、赤い大きな橋です。

若戸大橋が完成したのが1962年。2017年時点で、55歳になります。一方、橋がつくられる前から活躍していた若戸渡船は、1889年から若松村の管理下で運航しはじめたんだそうです。若戸渡船のほうは、なんと128年以上の歴史があるんですね。知らなかった。

 

若戸大橋は、ひとが歩いて渡れないので、自転車や徒歩のかたが、渡船を使います。大人でも片道100円と格安の運賃です。

 

人を運ぶ若戸渡船と、車が渡る若戸大橋。お互いに足りない部分を補いあって共存しているんですね。

あたらしい土地で庚申塔(こうしんとう)探し 福岡県糸島市志摩町

これまで、あまり行ったことのない土地である福岡県糸島市。福岡の中心部から比較的近いにもかかわらず、南国のような青い海をはじめとした、たくさんの自然と、おしゃれなカフェや雑貨があるというイメージが、糸島市にはあります。

 

庚申塔(こうしんとう)のような古い文化とは、関係のないような地域に思えていましたが、糸島市にある「糸島市 志摩歴史資料館」に寄ってみたとき、みつけたこの資料で、イメージが変わりました。

糸島の、特に志摩という地域に分布する庚申塔についてまとめられた資料です。志摩町教育委員会が発行をしている「志摩町庚申塔 志摩町文化財調査報告書 第28集」。

 

この資料をみながら、志摩町を巡り、今回の庚申塔へ行きつきました。庚申塔を魚拓(ぎょたく)のようにして、刻印された文字を紙に残したものを拓本(たくほん)と呼ぶそうです。この拓本をとってきたかたがたによって、地道に庚申塔についての調査が行なわれたそうです。

以前、なにかの書物では、「猿田彦大神」のように「庚申(こうしん)」以外の銘が決まれている石塔は、庚申塔としては分類していなかったと記憶します。

 

でもこの「志摩町庚申塔」では庚申と刻まれているものも、「猿田彦大神」と刻まれるものも、「塞神(さいのかみ)」と刻まれるものも、「街神」と刻まれるものもすべて庚申塔として分類しているようです。人によって庚申塔の解釈も違うようです。

 

志摩野北へ探しにいってみた

今回は、その「志摩町庚申塔」を読んで、志摩野北という地区にある庚申塔へ行ってみることにしました。

糸島市を巡っていると、ときどき道ばたで、庚申塔をみかけることがあったのですが、福岡県の他の地域の庚申塔と比較して、サイズが全体的に大きい印象を受けていました。志摩野北にある庚申塔も大きく、刻まれている文字も独特のものでした。

 

場所:福岡県糸島市志摩野北

地図:Google マップ

溜池のすぐちかく。道が分岐しているところに、庚申塔は祀られていました。

 

難しい漢字で、「庚申塔」という記銘がされています。「志摩町庚申塔」によると、「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」と建立年月が記銘とのこと。建立年月は、漢字が多くて、ぼくにはよくわからないので、ひとつひとつ解読してみることにしました。

 

「寛政十一」は西暦で1799年。この年の干支(えと)が巳(つちのと)未(ひつじ)。ここはわかったのですが、歳と舎の字が何を表しているのかわかりません。

 

歳と舎の意味

歳は「年」と同じ意味で使われたのかもしれません。ネットの辞書で調べてみると、【とし】という読みで【歳・年】と書かれています。どうも同じニュアンスで使われているようなので、「寛政十一歳」は、「1799年に造られました」という意味なんでしょう。

 

もうひとつ、「寛政十一歳巳未」の「舎」は、どんな意味を表しているんでしょう。

 

1.
一般に、人の住む建物。いえ。やしき。 「校舎・屋舎・兵舎・営舎・官舎・寄宿舎・精舎(しょうじゃ)・茅舎(ぼうしゃ)・禽舎(きんしゃ)・牧舎・駅舎・堂舎」
2.
仮にとまる建物。やどり。やど。やどや。仮の家。 「客舎・旅舎」
3.
行軍のときにやどる所。転じて、一日の行程三十里をいう。 「三舎を避ける」(さんしゃ(三舎))
4.
星のやどり。
5.
自分の。私の。 「舎弟・舎兄」
6.
「寄宿舎」の略。 「舎監・舎長」
7.
やどにつく。やどる。 「舎営」
8.
梵語(ぼんご)の音訳字。 「舎利・舎那(しゃな)」

 …といろんな意味があったのですが、庚申塔の建立年月の一部に刻まれているということは、この中の意味では「やどる」という意味が一番しっくりくるように思います。この庚申塔という石塔に、神様がやどったと解釈してみました。

 

だから「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」は、シンプルに言うと「1799年の1月に建てましたよ」となるのでしょうが、昔のひとはちょっと洒落た表現で刻んだんでしょうね。

島津丸山古墳ふきんの夕景 福岡県遠賀郡

場所:福岡県遠賀郡遠賀郡遠賀町島津

地図:Google マップ

 

今日は比較的、花びらが開いている蓮が多いように感じました。丸山歴史自然公園ちかくの蓮池です。たくさんの蓮がつぼみの状態でしたが、夕方でも一部の蓮は花開いているようです。いちどは早朝の、蓮の花が開いている時間帯に、ここを訪れてみたいものです。

丸山歴史自然公園のなかは、写真を撮っていると、たくさんの蚊に襲われます。きづいてら腕に4~5匹の蚊がとまって、血を吸っています。服の上からでも容赦なく刺してくる猛烈蚊を追い払いながらの写真撮り。夕陽に照らされる木々は、写真で撮ると思った以上に赤に燃えます。

これといって、大きなみどころのある公園ではないけど、夕日が木々の間から差し込んでくる光は、思った以上に綺麗なひとこまを見せてくれました。