これまで、あまり行ったことのない土地である福岡県糸島市。福岡の中心部から比較的近いにもかかわらず、南国のような青い海をはじめとした、たくさんの自然と、おしゃれなカフェや雑貨があるというイメージが、糸島市にはあります。
庚申塔(こうしんとう)のような古い文化とは、関係のないような地域に思えていましたが、糸島市にある「糸島市 志摩歴史資料館」に寄ってみたとき、みつけたこの資料で、イメージが変わりました。
糸島の、特に志摩という地域に分布する庚申塔についてまとめられた資料です。志摩町の教育委員会が発行をしている「志摩町の庚申塔 志摩町文化財調査報告書 第28集」。
この資料をみながら、志摩町を巡り、今回の庚申塔へ行きつきました。庚申塔を魚拓(ぎょたく)のようにして、刻印された文字を紙に残したものを拓本(たくほん)と呼ぶそうです。この拓本をとってきたかたがたによって、地道に庚申塔についての調査が行なわれたそうです。
以前、なにかの書物では、「猿田彦大神」のように「庚申(こうしん)」以外の銘が決まれている石塔は、庚申塔としては分類していなかったと記憶します。
でもこの「志摩町の庚申塔」では庚申と刻まれているものも、「猿田彦大神」と刻まれるものも、「塞神(さいのかみ)」と刻まれるものも、「街神」と刻まれるものもすべて庚申塔として分類しているようです。人によって庚申塔の解釈も違うようです。
志摩野北へ探しにいってみた
今回は、その「志摩町の庚申塔」を読んで、志摩野北という地区にある庚申塔へ行ってみることにしました。
糸島市を巡っていると、ときどき道ばたで、庚申塔をみかけることがあったのですが、福岡県の他の地域の庚申塔と比較して、サイズが全体的に大きい印象を受けていました。志摩野北にある庚申塔も大きく、刻まれている文字も独特のものでした。
場所:福岡県糸島市志摩野北
地図:Google マップ
溜池のすぐちかく。道が分岐しているところに、庚申塔は祀られていました。
難しい漢字で、「庚申塔」という記銘がされています。「志摩町の庚申塔」によると、「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」と建立年月が記銘とのこと。建立年月は、漢字が多くて、ぼくにはよくわからないので、ひとつひとつ解読してみることにしました。
「寛政十一」は西暦で1799年。この年の干支(えと)が巳(つちのと)未(ひつじ)。ここはわかったのですが、歳と舎の字が何を表しているのかわかりません。
歳と舎の意味
歳は「年」と同じ意味で使われたのかもしれません。ネットの辞書で調べてみると、【とし】という読みで【歳・年】と書かれています。どうも同じニュアンスで使われているようなので、「寛政十一歳」は、「1799年に造られました」という意味なんでしょう。
もうひとつ、「寛政十一歳舎巳未」の「舎」は、どんな意味を表しているんでしょう。
1.
一般に、人の住む建物。いえ。やしき。 「校舎・屋舎・兵舎・営舎・官舎・寄宿舎・精舎(しょうじゃ)・茅舎(ぼうしゃ)・禽舎(きんしゃ)・牧舎・駅舎・堂舎」
2.
仮にとまる建物。やどり。やど。やどや。仮の家。 「客舎・旅舎」
3.
行軍のときにやどる所。転じて、一日の行程三十里をいう。 「三舎を避ける」(さんしゃ(三舎))
4.
星のやどり。
5.
自分の。私の。 「舎弟・舎兄」
6.
「寄宿舎」の略。 「舎監・舎長」
7.
やどにつく。やどる。 「舎営」
8.
梵語(ぼんご)の音訳字。 「舎利・舎那(しゃな)」
…といろんな意味があったのですが、庚申塔の建立年月の一部に刻まれているということは、この中の意味では「やどる」という意味が一番しっくりくるように思います。この庚申塔という石塔に、神様がやどったと解釈してみました。
だから「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」は、シンプルに言うと「1799年の1月に建てましたよ」となるのでしょうが、昔のひとはちょっと洒落た表現で刻んだんでしょうね。