日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

臼杵磨崖仏の蓮を撮りに行った 大分県豊後大野市

蓮(はす)の花は、早朝に開花するそうで、臼杵磨崖仏がある臼杵市深田についた頃は夕方5時ごろ。見ごろの時間帯は、朝5時くらいらしいですよ。
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 夕方でも、ちらほらと開花している蓮は見ることができました。まったく開花してなかったらどうしようと思ってましたが、よかった。ひと安心。夕焼けに映える蓮も美しいものです。


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菅生磨崖仏(すがおまがいぶつ)を撮りに行ってみた 大分県豊後大野市


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菅生磨崖仏(すがおまがいぶつ)。大分県豊後大野市の三重町にある。

 

豊後大野市の磨崖仏は、臼杵(うすき)の石仏をはじめ、丁寧に細かく彫られてる感じがする。


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石仏の前には、舞台のような木製台があって、ここに靴を脱いであがることができた。でも、あがろうとすると、スズメバチが襲ってきたので、あえなく退散。

 
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雨引神社からの景色が想像以上 大分県豊後高田市


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 大分県豊後高田市にある田染荘(たしぶのしょう)。大分県のなかでも、特に好きな場所のひとつで、何度も訪れる。宇佐神宮の荘園として作られてきた田んぼで、昔からのグネグネとした形を残している。雨引神社という、湧き水が出る小さな社から撮ったもの。

 

 

雨引社は、以前から行ってみたかった場所でした。たぶん、地元の人しか行かないような、小さな神社のようです。田染荘の共同駐車場に車を停めて、細い畦道を徒歩で移動していきます。


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間戸の岩屋という岩山から、田染荘を撮っていたとき、はるか遠くにこの神社の鳥居が見えてて、気になっていました。やっと来ることができました。


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想像していたよりもずっと境内は小さかったのですが、ここから田染荘をみる景色は、想像していたよりもずっと美しかったです。
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謎の遺跡 鹿毛馬(かけのうま)神籠石(こうごいし)を見に行ってみた 福岡県飯塚市

場所:福岡県飯塚市鹿毛馬(かけのうま)

地図:Google マップ

 

以前に、福岡県朝倉市に行ったとき、杷木(はき)神籠石(こうごいし)という遺跡があるという情報があったので、探してみました。参照:杷木神籠石| 朝倉市

 

でも、杷木神籠石を探してみても、あたり草がボウボウで結局みるけることができませんでした。結局、神籠石ってどんなもの?という、もやもやした状態でひきづっていました。

 

今回は、福岡県飯塚市にも、同じような神籠石があるという情報を、本から得て、探してみることにしました。

 

本に載っていた地図は、おおざっぱなもので、なかなか目的地に着くことができませんでしたが、よくよく探してみると、google mapにすでに鹿毛馬(かけのうま)神籠石(こうごいし)の場所が登録されていたので、結局これに頼ることになりました。

 

神籠石がある山のふもとには、ちょっとした駐車スペースがあって、案内の看板も立てられていました。

地面もふみならされ、雑草も取り払われていたので、駐車場から神籠石のある場所までの道のりは楽でした。山道をあるくこと5分ほどでした。

こんな、石垣のような列石が、2㎞にわたって続くんだそうです↓

結局、これは何の遺跡か?案内の看板を読むと、山城の跡なんだそうです。

鹿毛馬神籠石は、鹿毛馬川に面した馬蹄型の丘陵地に形成された神籠石で、築造年代や目的については諸説ありますが、おおよそ7世紀頃(1400~1300年前)に造られた古代の山城というのが一般的です。


通常は、神籠石は200メートルを越える高い場所に築かれる事が多いのですが、鹿毛馬神籠石は、30~80メートルの低い丘陵地に築かれている事が特徴的です。

 

列石は約1,800個もの切石が使われ、全長約2キロメートルに渉って土塁の腰石が形成されており、標高の低い場所に建てられており、谷部には暗渠式(あんきょしき)の水門が2ヵ所あります。

参照:飯塚観光協会鹿毛馬神籠石(かけのうま こうごういし)」 

 

こちらが、駐車スペース近くにある、暗渠(あんきょ)式の水門跡。

福岡県内には7か所、こういう神籠石があるそう。大分県に住んでいたとき、こういう神籠石という名前は、全く聞かなかったので、知らなかった。大分県には、ないのかな?

須賀神社の道祖神群 福岡県直方市

場所:福岡県直方市下境1244

地図:Google Maps

 

須賀神社境内に、「猿田彦大神」と刻まれた石塔が8基、祀られている。庚申(こうしん)信仰に関する猿とか鶏とかが刻まれていないので、これら石塔は道祖神と思われる。

直方の町のなかにあった道しるべである、道祖神を集めてきて、この須賀神社境内に祀ったのかもしれない。

こちらが須賀神社参道入口。

須賀神社の外観

「若松あじさい祭り」 交通規制が解かれる17時以降にあじさいを見にいった

2017年は6月17日と18日に、北九州市若松区高塔山で、若松あじさい祭りが開催されています。開催当日は、高塔山にマイカーの乗り入れが禁止されています。それくらい、たくさんのかたが、あじさいを鑑賞しにいくんですね。

 

イベントも開催されているようなので、それを楽しみにされているかたもおられるんでしょう。

 

☆催し内容(予定)
17日 
湯茶接待 物販 あじさい挿し木教室 あじさいスケッチ大会作品展示 押し花はがき体験教室 ガーデニングフリーマーケット モデル庭園 など

18日 
湯茶接待 物販 あじさい挿し木教室 あじさいスケッチ大会表彰式・作品展示 押し花はがき体験教室 野点 ガーデニングフリーマーケット モデル庭園 健康相談 など

参照:若松あじさい祭り - 北九州市

 祭りの開催中は、人がたくさんのようなので、祭りが終わったあとに高塔山に登ってみることにしました。若松の街なかにある、あじさい祭りの案内看板では、17時以降は交通規制が解かれているよう。ためしに、仕事が終わってからの日没間際、19時ごろに行ってみました。

 

車は、この時間帯だったら、ふつうに入れるようです。山頂の駐車場もふつうに停められました。いつもよりも、やや人が多いように思えましたが、十分に駐車スペースもあって安心。

新しくあじさいが植えられようで、以前きたときよりも、さらに花の数に圧倒されました。

ooitasyuyu.hatenablog.com

 ただ最近、雨がほとんど降っていないためか、けっこうな数のあじさいが枯れはじめていました。 それでも、きれいなものはきれいです。↓こちらは高塔山 音楽堂ふきんのあじさい。音楽堂ふきんのあじさい達は、比較的早い時期に咲いていたので、枯れるのも早いようです。そのなかでも、まだ枯れずにがんばっていたあじさいを撮ってみました。

自然のものと思えないほど、鮮やかな赤紫色です。

 

次に、高塔山展望台ふきんのあじさいのほうも観に行ってみました。こちらは、新しく植えられたものらしく、枯れているものは少ないようでした。

こうやって、パシャパシャ写真を撮っているあいだにも、日はどんどん暮れていきました。けっこう辺りは薄暗くなっていました。来場されるかたが、ぼちぼちとおられました。

 

↓日が傾いてくると、横からの光で、また違った表情になりますね。

この高塔山から見る、北九州市の景色はきれいで、よく朝の景色を撮りに来ていました。↓こんな感じ。夜景も綺麗なので、辺りにカップルが多いのは、そのためなんでしょうね。

今日が、祭りの最終日。交通規制は9時から17時まで。でも時間をずらせば、ゆっくり綺麗な景色が楽しめます。

 

山野の石像群 福岡県嘉麻市山野

1271年に、妙道(みょうどう)というひとが奉納したといわれる「山野の石像群」。人々には五百羅漢といわれて親しまれています。

 

場所:福岡県嘉麻市山野1609

地図:Google マップ

 

五百羅漢とはいっても、実際には390体ほど。「筑前国続風土記」によると、昔、山野は宇佐八幡宮の神領だったので、宇佐市にある五百羅漢にならって置かれたのではないのか…と記されています。(案内看板より)

 

ちなみに、大分県宇佐市にある五百羅漢像はこちら↓

 

嘉麻市山野の案内看板に写っている写真では、これらの五百羅漢像は、屋外にさらされているようです。

いまでは、立派なお堂の中に、五百羅漢は祀られ、風雨から守られています。

お堂には、格子戸がついているものの、ガラスは張られていないので、拝観するのに邪魔にはなりません。

 

ここを訪れたとき、数にまずは圧倒されました。そして…それぞれの像の素朴な表情に魅せられます。

風化がすすんでいるから素朴な感じがするのか、もともとが素朴な表情なのか…

 

小さな仏像が多い中、ひときわ大きい二体の像が見えます。

仁王像です。まるで、羅漢像を守るようにグワッと立っています。

これら仁王像も風化が進んでいて、表情はほとんどみることはできなくなっています。

どんな気持ちで、妙道というひとは、これら石造群を彫っていったんでしょうか。