北九州市の歴史について知りたいと思い、北九州市50年の物語(毎日新聞西部本社報道部;石風社)を読んでいました。同書籍のP.29「勝山公園に新庁舎開庁」という項目があり、このなかに、北九州市が誕生した際、どのようにして新庁舎建設の場所が決まったか…その経緯が紹介されていました。
北九州市の庁舎があるのは、現在、小倉北区の勝山公園という場所です。この場所の前には、現在、動物園がある「到津の森公園」の場所が候補として挙がっていたそうです。
現在のことしか知らない私には、意外な場所でした。
北九州市が合併したのが1963年の2月10日ですが、それ以前は、現在は区となっている小倉、戸畑、門司、八幡、若松の5つの地域が”市”だったようです。
この5つの地域のなかで一番 財政的に恵まれていたのが戸畑(とばた)という地区でした。この戸畑という地区は、北九州市合併当時から工場がたくさんある地域だったようです。
↓下の図は1960年代の戸畑において、土地の所有者の割合をおおざっぱに示したものです。7割が企業、個人の土地は2割、1割が公有地だったそうです(北九州市50年の物語P.12)
戸畑は現在でもその土地の多くの場所が工業用地となっているようです。
北は区の面積の約45%を占める新日本製鐵八幡製鐵所があり、南は八幡東区との境をなすように低い丘陵が続く比較的平坦な市街地をなしています。 西部の洞海湾に面した地域には日本水産、旭硝子など多くの会社や工場があり、これらを加えると区の面積の約半分が工業用地になっています(参照)
そんな戸畑の南東にある金毘羅山。金毘羅山のすぐ東側にある到津(いとうず)という場所に、はじめは北九州市の新庁舎ができる予定でした。現在は「到津の森公園」という動物園ができています。ずっと昔は「中央緑地」と呼ばれたそうです。
ここで、庁舎を建設するための障害が見つかったそうです。その障害とは旧到津炭坑の坑道です。この坑道の存在により地盤沈下の恐れがあり、かつ、断層・炭層もあるために地滑りの恐れもあるとのことだったようです(P.29)
その後、市民アンケートで、庁舎は小倉北区…特に小倉城周辺に建ててほしいという要望が多く聞かれました。そして小倉城が建てられている勝山公園に庁舎は建設されました。
それにしても、小倉にも炭坑があったのですね。炭坑といえば、おおざっぱに、福岡県の中央部(飯塚市)から南部(大牟田市)にかけてあるというイメージでした。
ネット上で旧到津炭坑について書かれている記事は少ないのですが、「小倉地域の地質 - 地質調査総合センター(PDF)」というPDFの報告書に少しだけ紹介されていました。それによると第二次世界大戦前後に、到津炭坑が掘られていましたが、とても小さな炭坑だったそうです。
こちらのサイトでは、さらに詳しく、到津炭坑の出炭高が紹介されています。いずれにしても、到津炭坑についての資料はあまり残っていない印象を受けます。