九州の町を周っていると、ときどき、「○○街道」とか「■■宿(じゅく)」とか、史跡の看板を見かけることがある。気にはなるものの、歴史に強い興味があるわけではないので、これまで街道についてはスルーしていた。
だけど、図書館でこういう九州の街道や宿場町について書かれた書籍を見かけ、全体図が載っていたので、どうせなら少しずつでも勉強していこうという気持ちになった。
↑これがその街道の全体図。こうやって、まとめてくれているものがあると、入りやすい。この本は「アクロス福岡文化誌 街道と宿場町」(アクロス福岡文化誌編纂委員会編)というもの。街道の全体図は、本の冒頭に記載されている。
この図によると、九州には全部で8本の主要な街道が走っていることがわかる。
・長崎街道
・唐津街道
・秋月街道
・日田街道
・中津街道
・薩摩街道
・豊後街道
・日向街道
ちょっと話はそれるが、これまで、庚申塔と思ってさがしていた猿田彦大神の石塔は、どうも道祖神ということが最近わかってきた。↓こういう石塔
猿田彦大神の名が刻まれているけど、庚申塔に刻まれているような三猿や二鶏、月雲などが刻まれていない、上の写真のような石塔は、庚申信仰のために造られてきたものではないらしい。
こういう猿田彦大神の名だけが刻まれた石塔は、旅の安全を期すために造られたものが多くて、たくさんの旅人が行き交う街道沿いに祀られることが多いようだ。
だから、街道のことを知ってゆき、街道を渡り歩いて行けば、自然と、こういった道祖神に出会える機会も多くなるかも…と期待を持った。なにしろ、道祖神や、庚申塔を趣味で探し回っているので…
今回の投稿は、庚申塔や道祖神ではなくて、方位石(ほういせき)という史跡。方位石というのは、その名前のとおり、方位を確かめるための石。実物はこのようなもの↓
これは北九州市若松区の恵比須神社(えびすじんじゃ)境内に置かれています。方位石は、要するに、方位磁石がない時代に、街道などに置いておき、旅人が、どちらが北か南かを確かめていたんでしょう。
石の上面にはこんなものが刻まれているそう。これは方位石の傍にある、案内看板の表示。案内看板には、端的に書くと、こんなことが説明されていました。
・港の一角の小高い山や丘に置いて天候予測をしていた
・安全祈願のために社寺に奉納していた
・方位を見るため高い山などに置いていた
・江戸時代末期ごろに置かれていたのかも
恵比須神社は、北九州を象徴する赤い大きな橋…若戸大橋の、すぐ下にある。
神社拝殿のすぐとなりに、方位石は置かれています。恵比須神社のすぐそばまで海が来ていた時代は、この方位石は波打ち際に置かれていたということ。若戸大橋の建設にともない、現在の位置に移動させられたそう。
「おえべっさん」という祭りのとき以外は、恵比須神社には来たことがなかった。祭りのときじゃない恵比須神社境内は、意外と広々としていることがわかった。
地図:Google マップ