日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

庚申塔(こうしんとう)についてのメモ 七庚申ってなに?

石の宗教 (講談社学術文庫)を読んでて、庚申塔の起源が書かれていました。これまで読んだどんな本よりも詳しく書かれてて、おもしろいなと刺激をうけています。 

「三尸虫(さんしちゅう)が人の体のなかにいて、それが庚申の夜に天に昇り、天帝に宿主の行ないを報告する」という内容の伝承とは別に、庚申塔の起源が考察されているのは、はじめて知る内容でおもしろい。

 

この話は、また別の機会にまとめてみたいと思います。今回は「七庚申」についてのメモです。

 

庚申(こうしん)というのは、甲乙丙…でしられる十干(じっかん)と、子丑寅卯…でしられる十二支(じゅうにし)の組み合わせのひとつ。ぼくはいまいち理解できていませんが、↓下の表の十干と十二支の組み合わせは60通りあるそうです。これを日付に当てはめると、60日に1回、十干の庚(こう)と、十二支の申(さる)が組み合わされます。

ウィキペディアでは、干支(かんし)の組み合わせが、ひとつひとつ掲載されているのでわかりやすいですね。

57番目に庚申がありますね。

 

1年間では、だいたい6回、この庚申の日が周期的にまわってきます。ただ、だいたい10数年に一度、1年間に7回庚申の日がまわってくる年があります。このような年を七庚申と呼ぶそうです。

 

七庚申の年は特別な年で、以下のようなイベントが開かれるんだそうです。

 

七庚申の年には庚申塔をつくり、墓地や庚申堂や庚申塔の傍に立てて供養する

 

七庚申の年は庚申の御縁年といって、庚申講は七回目を盛大に祝って、庚申塔を立て、もし講にめでたいことでもあって、衆議一決すれば石屋さんにたのんで石塔の庚申塔を建てる

 

石の宗教五来 重著 (講談社学術文庫

 

 

 

年に7回、庚申となった年がほんとにあるのか気になったので調べてみました。手当たりしだいに調べるのも大変なので、1700年代、1800年代を集中して調べてみることにしました。なぜかというと、この時代に庚申塔が造られていることが多いからです。

 

調べるときは「和暦年別表」というサイトが便利で、西暦を入力すると、それぞれの年の干支を一覧表でだしてくれます。一覧表から庚申の文字を検索したら、一年間の庚申の回数がわかります。

 

その結果、以下のようになりました。

 

1700年代は、1708年、1718年、1732年、1743年、1754年、1764年、1775年、1786年、1797年が七庚申の年でした。

 

1800年代は、1800年、1811年、1822年、1832年、1843年、1854年、1865年、1879年が七庚申の年でした。

 

だいたい、10年か11年周期で七庚申がまわってくる印象です。七庚申のときは庚申塔が建てられる機会が多くなるそうです。だから今後、庚申塔めぐりをするとき、作られた年が七庚申なのか気にしてみようと思います。