夷耶馬(えびすやば)のふところに抱かれる恵比寿神社。注意深くしていないと見逃してしまいそうな神社です。夷耶馬らしく、あたりには大きな岩がゴロゴロ。
座標:33.3024210、131.1373847
平たい自然石に「猿田彦大神」と刻まれます。この庚申塔自体には、成立年月日は刻まれていません。
しかし、庚申塔の隣にある笠付の石塔には文字が刻まれています。
ほとんど文字がかすれ判読困難でしたが、↓下のような文字が刻まれているのではないかなと思います。もしかしたら間違っているかもしれません。
「奉寿進講中」「三庚辰三月」と刻まれていると思います。
「三庚辰三月」の「庚辰」は、これ自体が文政三年の意味を持つそうで、西暦1820年。頭文字の「三」は三年の三だと考えられます。
一方、「奉寿進講中」はなんとか判読したという感じで、ほんとに「進」と書かれているのか自信はないです。この文字はなんとなく、庚申塔を神様としてお祀りしましたよ、という意味を表していることが想像できます。しかしどんなに調べても、はっきりしたことはわかりませんでした。
まだまだ知らないことばかりですが、楽しい庚申塔探しを今年も続けていこうと思います。
新年
明けまして
おめでとうございます
今年も皆様にとって
良い年でありますように
大分県の玖珠町を車で周っていると、ひと集落に1基と言っていいほどの割合で、庚申塔を見つけることができます。
座標:33.2938812、131.1319284
この綾垣(あやがき)の庚申塔も、そのひとつ。
正面には「庚申尊天」と刻まれます。
庚申塔に向かって左側の面に「恭綾垣組講中」と刻まれます。ちょっと文字が読みにくいので、全て合っているのかわかりません。
頭文字の「恭」がかすれて読みにくく、もしかしたら他の文字かも。
庚申塔に向かって右側の面には、「文政十三庚寅年三月」と刻まれます。文政十三年を西暦に直すと1830年。
文政十三年を干支(えと)で言うと「庚寅」。だから、簡単に言うと「文政十三庚寅年三月」は1830年の3月に造られた、という意味のようです。
それにしても玖珠の庚申塔は、かなりの割合で「く」の字になっています。どうしてなのでしょうか?
地元のかたの話によると、「腰がまがってきた人のことを、あんひとはコウシンさまのようと昔は言ってた」とのことです。
もしかしたら、玖珠の人たちにとってのコウシンさまは、神々しい感じの神様ではなく、腰を曲げている、ちょっと謙虚な感じの神様なのかもしれません。
大分県から福岡県へ移り住んで、福岡県でも庚申塔(こうしんとう)を探し回っています。探した庚申塔は、このブログで紹介させてもらっていますが、ブログだけの記録だと、後で「どこにどんな庚申塔があったかな?」 と見直すときには不便な感じです。
そこで1枚の地図上に、庚申塔があった場所と、その庚申塔情報を記載していったらまとめやすいと感じ、googleのマイマップに記録していくことにしました。それがこちら↓です。
これは、国東半島の庚申塔を調べ上げ膨大な情報を「国東半島の庚申塔」でまとめられている小林幸弘氏からのご教授や、「福岡県福津市庚申塔マップ 」などからヒントを得て始めたものです。
先輩方の調査に比べたら、庚申塔を訪ね歩いた数は、ほんのひとにぎり。時間をかけてじっくり、福岡県の庚申塔情報を追加していきたいと思います。これまで写真に収めたものも、まだマップに追加できていないので、随時「福岡県の庚申塔マップ」を更新する予定です。