日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

八頭の竜が祀られる?笠松神社 北九州市若松区安屋

北九州市若松区にある安屋という地区。庚申塔がないか探しているとき、この地区に古い歴史がありそうな神社を見つけて、この神社に庚申塔はないか、探しに行ってみました。

場所:福岡県北九州市若松区安屋(あんや) 笠松神社

地図:Google Maps

 

神社の手前に、車が一台停められるほどのスペースがあったので、ここに車を駐車させてもらいました。ちょうど、朝日がのぼってきており、朝露に濡れた稲が黄金色にかがやいていました。なんと、美しい景色なんでしょう。これは写真にとらなくては…と、焦る気持ちを押さえつつ撮った写真です。

 

稲の写真を撮ったあと、最初の目的地である笠松神社へ。神社の二ノ鳥居には、八大龍王の文字。

どうして八大龍王なのか?この神社の由緒を「北九州市神社誌」(北九州史跡同好会)で調べてみても、「不詳」とのこと。ちなみに、祭神は天之忍穂耳命外七柱でした。「オシホミミ(忍穂耳)」は威力(生命力)に満ちた稲穂の神の意なのだそうで、稲の神様のようですね。そういう理由で、田園の見渡せる高台に、笠松神社が祀られていたんですね。

それにしても、まだ、八大龍王と刻まれる理由はわかりません。そこで、「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)を調べてみると、ここ笠原神社から南東に700mほど下ると、坊ヶ渕と呼ばれる場所がありました。

坊ヶ渕の説明はこんな感じ↓

坊ヶ渕は、昔、遠賀・鞍手・嘉麻・穂波4群の雨乞所として有名。渕は竜神が祀ってある。その龍は8頭の大竜で、古来竜は雨を呼ぶといわれ、この渕の竜神に雨乞の祈願をした。「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)

もしかしたら、この伝説にでてくる8頭の竜を祭る神社でもあるために、二ノ鳥居に八大龍王の文字が刻まれるのかもしれません。神社の伝承を調べてみるのも、なかなか楽しいものです。

 

気持ちのいい杜のなかを100mほど進むと、海抜27mほどの小山に拝殿が祀られていました。

 

拝殿の中には龍の画が奉納されていました↓

神社に庚申塔は祀られていませんでしたが、新たな発見があっておもしろかった。機会があれば、坊ヶ渕に祀られるという竜神さまを探しに行きたいとおもいます。

燃える空

大分県から福岡県に移り住んでから、約1年。被写体に困らないほど、大分県の豊かな自然と比較して、福岡県は撮りたい景色というのがなかなか見つかりません。

 

いままで被写体の力に頼っていて、なにげない景色からでも「なにかいい景色はないかな」と自分から探すことが少なかったのかなと、思いなおす日々が続いています。

頭をやわらかくして、ふだん見かける景色からも、その景色のいい部分を引き出す力を付けたほうが楽しく写真が撮れるのかな。

 

今日の写真は、いつもの夕暮れの景色。いや、いつもよりも、夕日がきれいで空が真っ赤に染まっていました。それが美しく、さらに飛行機雲ができていたので、写真に残しておこうかなと、久しぶりに思った時間でした。

場所:福岡県遠賀郡水巻町

萩城跡の松

山口県萩市へ、お盆の前に一日旅行にいきました。萩市には世界遺産に登録された史跡が、市内各所にあるそうです。行った後にはなるけど、萩市世界遺産について、どういうところが登録されているのか改めて調べてみました。

 

ネットで調べてみると、このサイトが一番わかりやすく、世界遺産をリストアップしてくれていました。(参照:「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」 萩エリア - 萩市ホームページ

 

萩市ホームページによると…

1.萩城下町

2.萩反射炉

3.恵美須ヶ鼻造船所跡

4.大板山たたら製鉄遺跡

5.松下村塾

この5つが世界遺産として登録されているようです。

 

このなかで、足を運んだのは1.の萩城下町だけ。城下町というか、萩城跡に行ってみました。世界遺産を周るのが目的ではなかったのですが、下調べをしていないので、せっかくの世界遺産もひとつしかまわれていなかったようです。

 

歴史は難しいというイメージがつきまとってて、城下町や城跡はササッと散策しました。でも、場内に生えていたこの松にはビビッときました。なんて立派な松。地面を這うように枝葉が横へ伸び、これまでみたことのないような松の造形となっていました。

 場所:山口県萩市堀内1−1

地図:Google Maps

 

萩の町は、さすがに世界遺産の町らしく綺麗に整備され、ドラッグストアとか、服飾店などの看板は茶系の看板に統一されていました。こういうのは、なかなか珍しくて、見つけるたびに、「おー」とひとりで感嘆してしまいました。

千光寺の庚申塔 熊本県阿蘇郡小国町

場所:熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場

地図:Google マップ

阿蘇郡の小国町を観光したときに見つけた庚申塔です。訪れた旅先で庚申塔はないか、探し回ることが習慣となっています。

熊本県で庚申塔を探したのは、これがはじめて。熊本県ではじめて見つけた庚申塔は文字塔でした。境内の入口すぐ左手側にコウシンさまは祀られていました。「庚申尊天」と刻まれています。

建立年月日は「天保??午」と刻まれていました。??の部分はコケに覆われて判読できませんでした。でも「??午」ということは、庚午、壬午、甲午、丙午、戊午の5パターンの組み合わせしかありません。そのなかで、天保の付く和暦は、天保5年だけ。つまり、1834年の建立年月日ということが予想されます。参照:和暦・西暦・早見表

 

だから「天保??午」の??に入る文字は、五甲で、「天保五甲午」と刻まれているんじゃないかと思います。甲午は「きのえうま」と呼ぶそうです。

庚申塔正面の足元には「頭主十五人」と刻まれ、庚申のグループは15名で、この方たちによって庚申講が開かれていたことがわかります。

 

この庚申塔がある地区は、「竹の熊上り地区」と呼ばれ、小国町のなかでいちばん美しい集落として認められたんだそうです。たしかに、そばに流れる小川は綺麗で、周囲の田園も集落も、美しい景色でした。人は少なく、ほっとする場所でした。

支えられ生きる 阿蘇郡小国町の阿弥陀杉

平成11年の台風18号で、1/3だけ残った阿弥陀杉です。樹齢1300年なんだそうで、その迫力は、もうなんだか恐竜をみているような感じです。

幹のゴツゴツ感、どっしりとした重量感、枝がグワッとせまってくるような迫力…でも、さすがにこれだけの年を重ねてきたからか、幹の乾燥具合でなんとなく弱っている印象も受けます。何本もの鉄骨で支えられながら生きていました。

場所:熊本県阿蘇郡小国町黒渕

地図:Google Maps

 

よく利用する大分県のそば饅頭屋さん 禅海 玖珠郡玖珠町森

大分県中津市にある耶馬渓(やばけい)では、そば饅頭が名産ですが、ぼくはここのそば饅頭屋さんをよく利用させていただいてます。

 

場所:大分県玖珠郡玖珠町森5124-1

地図:Google Maps

もう、この場所になると中津市ではなくて玖珠(くす)郡になってしまってます。このそば饅頭屋さんは、禅海(ぜんかい)という名前。この記事を書くにあたり調べてみると、おおもとの企業名は新栄堂ということがわかりました。参照:新栄堂

 

新栄堂が玖珠郡の会社なので、そば饅頭屋さんも玖珠にあるんですね。のぼりには「がんこじいさんのそば饅頭」って書いてますけど、店頭に立たれているのは女性の店主。商品を買ったときには、いつも1~2個、できたてのそば饅頭をサービスしてくれます。

ずっと前、田中陽希さんが日本百名山をひとふで書き踏破する番組「グレートトラバース(NHK)」で、ここのご主人と交流されているのを見ました。知っている場所がでてうれしかったですね。

 

そば饅頭は、やっぱりできたてのホカホカが、そばの香りが強く感じられて、抜群においしいです。

饅頭の8割がたが、甘さひかえめのアンコで占められています。お店は不定休なので、「行ってみたけど閉まってた」…ということがたびたびあります。まあ、閉まってたら残念だけど、「今日ははずれ」と軽く受け流すようにしています。また、寄れる機会があれば行ってみます。

珍しい書体で猿田彦大神と刻まれた庚申塔 大分県玖珠町太田

今回の庚申塔(こうしんとう)があった場所は、大分県玖珠町にある、志津里生活改善センターの敷地内。目の前の、県道43号線沿いに庚申塔はあります。だから、見つけやすい。

場所:大分県玖珠郡玖珠町太田673−2

地図:Google マップ

珍しい書体の字ではあるけれども、「猿田彦大神」と書かれているようです。よくこの通りはとおっていたけど、この庚申塔は見逃していました。

庚申塔に向かって右側面。なにも刻まれていないようです。

 

庚申塔に向かって左側面。建立年が刻まれているようですが、肉眼では何と書かれているのか判別できませんでした。

庚申塔のすぐそばに、何か見慣れない石塔が立っていました。「是 左日田 右ひこ」と刻まれる。境石のようです。「これより左は日田市へ 右は英彦山へと続きます」という意味のようだ。

↓境石に向かって左側面に、「施主 本田亀太郎」。

↓向かって右側面には、「明治二十二年」の文字。それより下の文字は判別できませんでした。道しるべの石塔と、猿田彦庚申塔が祀られているということは、この県道43号線は街道だったと予想されます。

県道43号線を、福岡県方面へたどっていくと、中津市耶馬渓(やばけい)を抜け、山国という町まで続いています。たしかに、英彦山の手前まで続いていました。

 

一方、その反対側をたどっていくと、玖珠の町なかへと続きます。そして、国道210号線と合流します。昔も、この国道210号線と同じルート…玖珠川に沿って日田市まで街道が続いていたのかもしれません。機会があれば調べてみたい。