日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

遠賀川流域で最大の古墳がある”島津丸山古墳群”に行ってみた

”古墳”と聞くと、どんな場所にあるのか、どんな形をしているのかという感じで、なんとなく足を運んでみたくなります。誰の墓であるのかとか、どんな形式なのかとか細かいところには、いまのところあまり興味はありません。

 

郷土誌を読んでいて、たまたま”島津丸山古墳”のことが紹介されていたため、今回もなんとなく、この古墳がどんな場所にあるのか知りたくて、足を運んでみました。

県道27号線を北上していると、遠賀川河口付近にて、左側にポッコリ小さな丘がつくられているのが目にはいってきます。遠賀川と、西川という小さな川に囲われた土地にある古墳群です。”島津丸山古墳群”と呼ばれます。

 

場所:福岡県遠賀郡遠賀町島津

現在地から”島津丸山古墳群”:Google マップ

島津丸山古墳の詳細な説明はこちらのサイト【島津・丸山古墳群 古墳めぐりウォーキング】で紹介されていますので割愛します。

 

島津丸山古墳について、ザッというと…

・熊鰐(わに)という豪族の墓である

・遠賀川流域でここまで大きな古墳は見つかっていない

・5基の古墳がある

・そのうちのひとつが前方後円墳である

古墳群のある場所は駐車場つきの公園になっていて、駐車場から園内をぐるっと歩くことができます。ちょっとした散歩にはいい場所でした。

まとめ

いまのところ史跡の雰囲気を味わって楽しむだけで終わっています。ひとつひとつの史跡は、これまでの歴史の指標となります。各地域にある史跡全体を大局的にみていくと、それぞれの史跡がパズルのピースをはめこむようにつながっていくのかもしれません。

 

そんな史跡の深い部分を「おもしろい!」と感じられるようになったらいいなと思います。

 

とりあえず第一歩として、「遠賀川流域には、3世紀から4世紀ごろに、強い勢力をもった豪族がいた」ということを記憶にとどめておきたいです。

福岡県にある世界文化遺産に行ってみた 遠賀川水源地ポンプ室

福岡県中間市にある”遠賀川水源地ポンプ室”。

 

遠賀川水源地ポンプ室の概要

社会の教科書にも載っている”八幡製鉄所”に、工業用水をくみ上げて送る施設です。

八幡製鉄所が稼働し始めたのが1901年で、この”遠賀川水源地ポンプ室”が造られたのが、その9年後の1910年。もう106年も稼働しているんだそうです。

製鉄には大量の水が必要になるので、その水を北九州市の一級河川である遠賀川から引き込んでいます。そうそう、今もこの施設は現役で、八幡製鉄所に必要な工業用水の7割をまかなっているんだそう。

 

遠賀川水源地ポンプ室までのアプローチ

遠賀川水源地ポンプ室のある場所はこちら↓

場所: 福岡県中間市 土手ノ内1丁目3-1

現在地から”遠賀川水源地ポンプ室”:Google マップ

 

2015年に世界文化遺産に登録されて、まだ間もないこともあり、施設内の見学などはできなくて、2016年9月現在、一般に公開はされていません。柵のそとから眺めるしかありません。周りに駐車場もありません。

 

施設周囲の車通りは少ないのですが、道はせまいので、やっぱり一時的に駐車しても地元のかたに迷惑をかけてしまいそうです。そこで、中間市役所前にある河川敷駐車場に車を停め、駐車場から歩いていきました。

 

駐車場からポンプ室まで650mほどしか離れていないので、10分程度で行くことができます。

 

まとめ

遠賀川流域には、弥生時代の土器や古墳が出土したり、炭鉱関係の遺構が残されていたりと、たくさん訪れてみたい場所があることがわかりました。ぼちぼち調べて周ってみたいと思います。

遺構 九州鉄道・海老津赤レンガアーチを訪ねてみた

図書館で遠賀郡の資料を調べているときに、見つけた遺構です。JR鹿児島本線の古い線路跡にのこる海老津赤レンガアーチ。

 

図書館の資料についている地図を頼りにいってみました。県道287号線を、岡垣町海老津という町から南下していると、突如、道路の右側に現れます。

 

現在地から赤レンガアーチ:Google マップ

1889年、つまり今から127年前に、岡垣から赤間へと抜ける鉄道の一部として建設されました。こんなに古い、鉄道に関する遺構は九州内ではないそうです。

 

蒸気機関車の時代、すぐそばにある城山(じょうやま)峠を機関車は越えていっていました。場機関車にとって、峠を越えるのはかなりの負担で、その後、線路の所有が”九州鉄道”から”JR”に変わってからは、城山にトンネルが開通し、ルートが現在のものに変更されたそうです。

この赤レンガアーチ橋の中を抜けて、北側へ歩を進めると、現役で活躍している赤レンガアーチも見られます。

↓こちらの赤レンガアーチの上は鹿児島本線が通っています。

ブログのタイトルを変えました

理由があって、2016年9月に大分県から福岡県に移り住むこととなりました。そのため、ブログ記事が福岡県寄りになっていくだろうな…ブログタイトルの「大分県 周遊~!!」をどうしようかな…と考えていました。

 

このブログをはじめたのが2014年の7月1日です。ふだん見慣れている地元でも細かくみていくと、「こんなところに、こんなものがあったのか!」「こんな過去がこの場所ではあったのか!」という発見があって、そんな驚きを2年間ブログの記事にしてきました。

 

徐々に、体験したことや、気づいたこと、考えたことなど全般も記事にしていくことが楽しみに変わってきました。毎日の「楽しい」を見つけて記事にすることが日々の癒しとなっています。

 

毎日の「楽しい」を見つけて記事にする。この目的から外れないようなブログタイトルに変えてみたいと思いました。なにか気の利いたシンプルなタイトルを考えだそうとしていましたが、思いつきませんでした。感じた想いをそのままタイトルとし「日々の”楽しい”をみつけるブログ」としてみました。

 

とりとめのないブログですが、読んでくださるかたに少しでも、毎日の”楽しい!”を感じる手助けとなるよう心がけます。これからもよろしくお願いいたします。

福岡県宗像市吉留にある 彼岸花の列

以前、福岡県宗像市にある”戸田山”に登りました。その下山後、県道287号線を南へ下っていくと、彼岸花の列が整然と川にそってできているのが見えました。

写真手前のほうはだいぶ枯れてきていますが、2016年9月25日ではまだまだ見ごろでした。この写真の場所は”吉留”という地区です。”福岡教育大前”駅から県道29号線を東へ4㎞ほどいったところにあります。

 

現在地から宗像市吉留にある彼岸花:Google マップ

”宗像市 彼岸花”で検索すると、宗像大社近くにある”鎮国寺”というお寺が、彼岸花の名所だそうです。ここ吉留も黄金色の稲と、彼岸花がコラボする美しい景色がみられます。ネット上で紹介されていないのはもったいないです。

虫や急勾配、足元が悪いなど 条件の悪い山ほど登山用スティックが活用できる

福岡県宗像市にある戸田山に登ってみました。今回の登山では、登山用スティックが活躍をしました。登山道に張れられているクモの巣を払う手助けをしてくれ、すべりやすい登山道で転倒するのを防いでくれました。

 

スティックって、久住山のような歩きやすい山ではなく、里山のようなあまり人がはいっていかない山で、その役割を主に果たしてくれるようです。 

 

戸田山の概要

戸田山は遠賀郡と宗像市との、ちょうど境目にある山です。標高は267mと低く、戸田山ふもとでは登山道脇や、登山道自体に小川がながれていて湿度が高いです。そのためか、蚊や小バエが多く、さらにクモの巣も登山道にたくさん張られているので、歩きにくさがありました。

標高が150m以下の箇所では湿気が強くて、足元が滑りやすかったり、ぐちゅぐちゅとなったりしている箇所があります。150m以上になると、この傾向はすくなくなります。登山口付近よりも山頂に近い山道ほど、道は整えられていました。

 登山口へのアプローチ

岡垣町の海老津(えびつ)という町から、県道287号線を南に車で7分ほど進みます。すると、左手にこんな看板が立っているのに気づきます。

↓ただし、この道には車が侵入するのは、道が悪く困難なので、周囲に駐車場をみつけなければなりません。

↓登山口付近に溜池があり、その溜池のすぐそばに駐車できるスペースがあるので、ここを利用させてもらいました。

 ルートの総移動距離は2.9㎞。累積標高(+)は454m、所要時間は1時間28分となりました。

 

駐車場から登山口までは、ほんの数十mです。

 登山口付近からの山の外景はこんな感じ↓。実際は、見通しはよくないので山の一部がみえるかたちとなります。山の谷の部分を登って、それから稜線を進んでいくことがわかります。

 

登山口から大頭まで

登山口からはいくつかの分岐はあるものの、案内の看板が要所要所に掲げられている。登山道の左側(北側)には地形図では農園があるようです。左方向にのびる作業道にまよいこまないよう注意します↓。

 

二つ目の分岐です↓。ここの分岐は看板がたてられています。

 

二つ目の分岐をすぎると、道はさらに悪くなります。足元は凸凹で、湿気があります。苔むした岩で足をすべらせないよう注意します。

 

ルートの分岐地点にたどり着きました。

戸田山は、はじめての場所なので、難易度が易のほうを選びました。

 

このあたりは標高120m付近。

雑草が生い茂り、踏み跡がわかりにくくなっています。

 

ところどころ足元がじゅくじゅくです。

一部、コンクリートの舗装道が顔をみせますが、ここには杉の落ち葉がたくさんふりつもり、さらに道路にはコケが張り付いているので、すべらないよう注意します。

舗装道をぬけると再び細い山道にもどります。

 

稜線に近づくにつれて、だんだん斜度が増すのが体感できます。

稜線にたどりつきました。ここで、”大頭”という場所へ進むか、山頂へ進むかで分岐があります。

今日はいちど大頭という場所に行ってみることにしました。地形図をみるとほとんど高低差はなく、10m以内の高低差になっています。楽な行程になることが予想されます。

 

↓以下は平らな稜線が伸びていきますが、山道にクモの巣が張られているために、スティックをうまく使いながら道を切り開いていきます。標高200mあたりになると、下よりは湿気があまりないので、陰気な感じからは解放されます。

けっこう、うっそうとしている感じが写真からはしますが、実際には踏み跡がしっかり残されていて歩きやすいです。

↓大頭にたどりつくちょっと手前は、登りになっていて小さい丘になっていることが感じられます。

大頭は大人が5人から6人、円座になれるほどのスペースとなっています。木漏れ日が気持ちいい。

 

大頭から山頂へ

さて、大頭・山頂分岐地点までもどり、山頂へ歩を進めます。分岐からすぐに急登がはじまります。勾配がだいたい30%から40%。またここでもクモの巣がはびこっています。山頂までの急登ではスティックが重宝しました。

少しだけ竹林を抜け、再度雑木林にもどります。

竹の落ち葉はすべりやすいので注意をする。

落ち葉によって歩きやすさが違ってくる。広葉樹の落ち葉のほうが、竹の落ち葉よりもやや歩きやすい。

勾配はこんな感じ↓

↓山頂がみえてきた。山頂手前になると勾配はやや滑らかとなります。

↓二等三角点が設置されています。

↓山頂からの眺望が通るように樹々が切られています。そうでなければ、視界はひらけていないのでしょう。

↓樹々の間から宗像の街が見通せる。

山頂を後にして、こんどは戸田山の北側を周って降りるルートへと行く。

地形図をみると、登ってきたルートよりもさらに勾配が強いことが読み取れます。130mほどをいっきに下っていく様子です。この下りが谷になっている部分まで続くようです。

稜線が終わり、強い下りがはじまります。

途中、足がかりがあまりないので、すべりやすいです。特に竹林ではうまくスティックを使って横向に降りていきます。できるだけ大股ならず、小刻みに歩を進めます。

いくら登山道周囲は荒れていても山道はしっかりと残っていて、歩きやすいです。管理されているかたに感謝です。

↓標高が200m以下になると、再び広葉樹林が広がります。

↓広葉樹林帯もけっこうな斜度です。

↓標高が160mくらいになると、湿度が増し、じめじめとした雰囲気の森になります。同時にクモの巣がわんさと山道に張られています。

↓標高146m付近で、一部舗装された道にたどりつきます。

谷部に着いたことがわかりホッと一息です。

↓山道のそばには小川がながれています。ここが谷になっている証拠です。

登山道が小川の一部となっています。

南回りか、北回りかの分岐に辿り着きました。後は駐車場まで舗装道を進んでいきます。

 

まとめ

今回は登山用スティックが活躍しました。勾配が強く、落ち葉もあり滑りやすいとともに、クモの巣がたくさん張っている登山道という特徴があったからです。

 

ところどころに地面がぐちゅぐちゅの部分があるため、足をつく前に一度スティックで地面の状態を確認もできました。

 

こういった条件の悪い山ほどスティックは有効に使えることが実感できました。

戸田山の標高が150以下の箇所は、雨の降ったあとはさらに条件が悪くなると予想されます。登山道の一部が小川と合流するためです。蚊や小さなハエが多くて不快だったこともあるので、戸田山には、天気がつづいていて、虫の少ない寒い時期に登ったほうがよさそうです。

福岡県行橋市にある低山 馬ヶ岳 1時間ちょっとのハイキングコース

福岡県行橋市にある”馬ヶ岳”に登ってみました。”馬ヶ岳城跡”の看板が、この近くの県道を走っていると目に入っていたので、気になっている場所ではありました。 

ちょっと様子見のつもりで登ってみたのですが、もう少し、もう少し…という感じで歩を進めていくと、三角点部分(208.7m)まで結局たどりつきました。

”馬ヶ岳城跡”の看板のとおり、この山には昔、城が建てられていたそうです。1405年の古文書からぽつりぽつりと、馬ヶ岳城の記録がでてきています(馬ヶ岳城跡(うまがたけ じょう あと)の歴史 | 行橋市ホームページ)。

 

↓これは北側から馬ヶ岳を見おろした図。北側の登山口から登っていくような形となっています。累積標高(+)は439m、総移動距離は3.2㎞、所要時間1時間15分の登山となりました。

馬ヶ岳登山口には車1台分の駐車スペースがあり、簡易トイレも設置されていました。ぼくは駐車場の場所がよくわからなかったので、登山口から南西の農道脇に車を止めさせてもらい、登山口まで歩いていきました。行橋市のホームページによると、↓赤丸印(◎)の部分に”馬ヶ岳城跡臨時駐車場”があるようです。

 

 

なだらかな登りから始まります。

 いちど谷に降りて階段で登り返す。階段の前に↑このような看板が立てられています。地図でいえば↓標高50mの主曲線とちょうど重なります。

↓階段で登り返す。

階段を上ると再び、なだらかな稜線となります。

↑小ピークからの稜線を、なだらかに登ってゆく。↓地図ではこのあたり。

 

小ピークを過ぎたあたりで、一度ふりかえると、少し展望が開けます↓。

だいたい標高は140m。

 

↓標高156mあたり。山頂にちかづくにつれて、だんだん斜度は増してきます。勾配は38%。

ただ、道は綺麗に整備されていて、階段もあるので歩きやすい。

三角点があるピークに到着。山頂には四等三角点と祠があり、ベンチが設置されています。

展望はよく、北東方面は行橋市街と周防灘が見通せます。

三角点があるピークは山頂ではなく、山頂(216m)はもう少し西へいったところにあります。今回はそこまではいきませんでした。

 ↓南側の景色も美しく、豊前の山々を見通すことができました。

 

まとめ

今回は三角点のある場所と、山頂とが違う場所だったので、山頂まで登ったと勘違いしていました。低山とはいえ、下調べをして山の全体像を把握してから登るほうがいいと感じました。