場所:福岡県遠賀郡岡垣町(大字)波津(字)向鼻
座標値:33.881883,130.568048
『岡垣町史』P948の情報をもとに探していた庚申塔です。こんな場所にあるとは思いませんでした。県道300号線沿いの海岸で、まさに波打ち際に庚申塔が祀られていました。
岡垣町波津の庚申塔を訪れたのは、2020年1月26日(日)の12時頃。このときは、ほぼ満潮で庚申塔のすぐ下まで海水がきていました。干潮の時間ならば、もしかしたら庚申塔のある場所まで歩いていけるのではないかと思い、干潮の時間をネットで調べてみました。
「福岡県 干潮時間」というキーワードで調べると、すぐにわかりました。
参照:http://sio.mieyell.jp/select?po=84004
16時頃が干潮だということなので、その時間に再訪してみました。
潮がだいぶ引き、庚申塔が祀られている場所まで岩場が現れていました。庚申塔が祀られている付近に石段があり、そこから海辺におりることができるのですが、↓下の写真のように膝くらいの深さの水たまりができていました。
そこで、遠回りして水たまりを迂回することにしました。少し離れた砂浜から波打ち際へ進み、この水たまりよりもやや沖側から岩場を渡れば、庚申塔までたどりつくことができそうでした。
ただ完全に海水から出た岩場となっているわけではなく、ところどころが飛び石のようになっていました。そのためもしかしたら、訪れる時期によっては、海にジャブジャブとはいっていかなければ、庚申塔にたどりつけなくなるかもしれません。
こちらが目的の庚申塔です。2基どちらもシンプルに「庚申塔」という文字が刻まれていました。
2基の庚申塔に向かって左側の庚申塔には「波津浦中」という文字が、右側面に刻まれていました。岡垣町史P949では、上の写真の庚申塔について”年号記入なし”と紹介されています。
庚申塔の上部分が欠けていますが、そのエピソードが記載されていました。
庄屋辻田市作のときに庚申塔を中の浜に建てようとして運ぶ途中に、浜に落ちて頭が割れた。それでおみくじをあげたら、中の浜にはいかんと言われたのでそのままここに建てた(参照:岡垣町史P949)
文章の内容がわかりにくいですが、意訳すると「庚申塔の意志により、中の浜ではなく、この場所(向鼻)に建てた」ということでしょうか。
2基の庚申塔に向かって右側の庚申塔を見てみます↓
こちらの庚申塔には「元文四己未天 七月吉日」と建立年月が刻まれています。
元文四年は1739年で、干支も己未(つちのとひつじ)で、刻まれている文字と整合します。
岡垣町史P949では2基の庚申塔が紹介されており、上の写真の庚申塔のうち左側の庚申塔についての情報は整合しました。しかし、右側の庚申塔(元文四年建立)との情報が整合しません。
岡垣町史には「安政四丁巳年三月吉日 波津浦中庄屋 辻田市作」の記銘がある庚申塔が紹介されています。
「元文四己未天 七月吉日」
「安政四丁巳年三月吉日 波津浦中庄屋 辻田市作」
このふたつの情報の食い違いは、刻まれている文字の読み間違いという感じではなさそうです。もしかしたら、もう1基どこかに「安政四年」建立の庚申塔があるのか?単なる誤りなのか?今のところ不明です。