遠賀川沿いを走る県道27号線。ここを車で走っていると、気になる神社を見つけました。県道からも、境内に庚申塔らしき石塔が、いくつか祀られているのが見えていたからです。
十五社神社の場所:福岡県中間市下大隈1175−3
地図:Google マップ
十五社神社のとなりに、ラーメン屋さんがあって、駐車場もあるのですが、ここに車を停めるのは気が引けました。神社が祀られている下大隈(しもおおくま)という集落には、比較的たくさん路駐できる広い道があるので、路傍に車を停めさせてもらいました。
境内はこじんまりとしているけど、綺麗に手入れがされています。雑草などは生えていません。神社のすぐそばを、車がぶんぶん走り抜けていきます。帰宅ラッシュのときには、この道路あたりまで渋滞が続きます。今日は、比較的空いていて、車は走り抜けていくだけ。車からの視線を気にせず、境内を散策できます。
拝殿の裏っかわに、目指す庚申塔らしき石塔があります。しかし、これらのなかで、はっきりと「庚申(こうしん)」とか、「猿田彦」の文字が刻まれた石塔はなく、庚申塔の確証はもてませんでした。
↓こちらは、境内のいちばん奥、樹のそばに祀られていた石塔です。これも、なんとなく庚申塔のような形状です。雨風の浸食がはげしく、表面はボロボロ。昔は刻まれていたのかもしれないけど、いまは何も文字らしきものは確認できませんでした。
↓向かって右側面
↓向かって左側面
また、一番初めに見た石塔群へ戻ります。
やっぱり、庚申塔と確証のもてる文字は見当たりません。↑上の写真、一番右側の石塔に「文化元年」…西暦1804年の文字が刻まれていました。
しかし、これは干支で言えば「甲子(きのえ ね)」で、「庚申(かのえ さる)」ではありません。
↑上の写真の一番右の石塔に、みなれない文字が一文字刻まれています。これから、なにかの手掛かりが見つかるかな…と思い、調べてみました。
↑どうも、この文字を変形させて刻んだものらしいです。意味は「たてまつる」「献上する」なんだそう。わかりやすく書くと「献」の文字と同じ意味を持つようです。この石塔もまた、庚申塔の手掛かりには、ならなかったです。
庚申塔という確証はもてない石塔群だったけど、いちおうメモ代わりに、十五社神社の石塔群をアップしておきます。