日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

猿田彦大神とかかわりのある池 -比良夫(ひらぶ)貝伝説地- 福岡県北九州市小倉南区蜷田若園

駐車場の奥に、雑草におおわれた小さな池があります。

f:id:regenerationderhydra:20200906203207j:plain

この池は、湧き水が自然にたまったものということです(参照:案内板)

f:id:regenerationderhydra:20200906203229j:plain

お御手洗(みたらい)とよばれるこの池には、むかし比良夫(ひらぶ)貝という2枚貝がいました。猿田彦大神はこの貝に手をはさまれて水中に引き込まれ、没したといわれます。

 

場所:福岡県北九州市小倉南区蜷田(になた)若園

座標値:33.8439818,130.8898999

f:id:regenerationderhydra:20200906204004j:plain

2020年9月6日時点では、雑草におおわれ、ほとんど池の姿がみえなくなっていました。Google mapの航空写真では、ひょうたん型の池の姿がはっきりと確認することができます。

白髭神社の猿田彦大神 福岡県北九州市小倉南区蜷田若園

北九州市小倉南区の蜷田(になた)若園(わかぞの)という地区に白髭神社がまつられています。白髭神社のニの鳥居にむかった左側…すぐそばに、猿田彦大神と刻まれた庚申塔がまつられていました。

f:id:regenerationderhydra:20200906114945j:plain

猿田彦大神庚申塔の右側にちいさな石塔もまつられています。しかし小さな石塔に文字は確認することができなかったため、庚申塔かどうかは不明です。

f:id:regenerationderhydra:20200906115036j:plain

場所:福岡県北九州市小倉南区蜷田若園

座標値:33.843544,130.890132

 

↓猿田彦大神の文字の右側にはおそらく…文化二年、左側には八月吉日と刻まれています。文化二年は西暦1805年、干支は乙丑(きのとうし)です。

f:id:regenerationderhydra:20200906115233j:plain

貴布祢神社の猿田彦大神 福岡県北九州市小倉南区西水町

北九州市小倉南区の西水町という地区にある貴布祢神社。この神社の本殿裏側に庚申塔がまつられていました。

f:id:regenerationderhydra:20200906111822j:plain

この貴布祢神社は住宅密集地内で、日田彦山線沿いに祀られています。↓下の衛星写真は小倉南区西水町をしめしたものです。赤丸でしめした箇所が貴布祢神社です。住宅街のなかに、ぽつんと緑がこんもりとしておりオアシスのようです。

f:id:regenerationderhydra:20200906112533j:plain

↓貴布祢神社の拝殿を左側からまわりこみ、本殿の裏側へと歩を進めます。

f:id:regenerationderhydra:20200906113029j:plain

樹の根もとに猿田彦大神と刻まれた庚申塔がまつられていました↓

f:id:regenerationderhydra:20200906113352j:plain

場所:福岡県北九州市小倉南区西水町

座標値:33.851577,130.892400

 

猿田彦大神という文字にむかって右側に文政七年、左側に申 二月吉日と刻まれています。文政七年は西暦1824年で、干支は甲申(きのえさる)です。

f:id:regenerationderhydra:20200906113432j:plain

f:id:regenerationderhydra:20200906114028j:plain

温泉わきでていたといわれる-湯庵堂- 福岡県北九州市八幡西区力丸町

力丸東公園(北九州市八幡西区)のいっかくに「湯庵堂」があります。正確には湯庵堂の石碑があります。湯庵堂は武士が傷をいやすために使ったといわれる温泉が湧き出ていた場所です。

f:id:regenerationderhydra:20200905212539j:plain

力丸東公園の東側に石仏がならべられ祀られている

場所:福岡県北九州市八幡西区力丸町

座標値:33.877537,130.726920

 

f:id:regenerationderhydra:20200905212657j:plain

現在、温泉は枯渇し、お堂もみられず、石碑のみがみられます。

f:id:regenerationderhydra:20200905213813j:plain

そして地域にまつられていた4基の石仏が、力丸東公園に集められ、お堂にまつられています。

f:id:regenerationderhydra:20200905212919j:plain

4基の石仏とは別に、お堂の間に、古いものと推察される地蔵菩薩像と不動明王像がまつられていました。これらの石仏は首の箇所と胸の箇所でおられているために、廃仏毀釈がおこなわれた明治時代以前につくられたものと推察されます。

f:id:regenerationderhydra:20200905213014j:plain

f:id:regenerationderhydra:20200905213037j:plain

湯庵堂の温泉がでなくなった由縁が北九州市史(民俗)P.546に記されています。

 

八幡西区本城(ほんじょう)湯庵堂の田んぼの中に松の大木があった。付近には、昔から温泉が湧き出ていたといわれているが、この湯屋の持ち主が博打に湯を賭けて負けたために、湯がでなくなったという。

 

むかし古墓がたくさんあった公園 -岬ノ山公園- 福岡県北九州市若松区古前

福岡県北九州市若松区に、洞海湾・皿倉山をみわたせる景色のいい公園があります。岬ノ山(はなのやま)公園です。この公園の存在は、長年、北九州市にすんでいましたがしりませんでした。『北九州市史(民俗)』P.577を読んでいて、その存在をしることができました。

f:id:regenerationderhydra:20200905092558j:plain

場所:福岡県北九州市若松区古前

座標値:33.892724,130.796621

 

岬ノ山公園は、車通りの多い国道199号線沿いにあります。しかし国道沿いからみると公園は標高40mと…やや高い場所にあり、しかも草木がおいしげっているために山にしかみえません。

f:id:regenerationderhydra:20200905083653j:plain

しかし地図で岬ノ山公園を確認してみると…

f:id:regenerationderhydra:20200905083923j:plain

洞海湾にやや突き出ている岬に「岬ノ山」という文字があり、標高40mのこの箇所は平地となっているのがわかります。

 

『北九州市史(民俗)』P.577によると、昔、この場所には古い墓がたくさんあったとあります。現在は、その古い墓はなくなっているようですが、その菩提をとむらうために近くの「安楽寺」に地蔵菩薩が祀られているということです。

 

岬ノ山公園ふきんに「安楽寺」というお寺はあるのでしょうか?調べてみるとありました。岬ノ山公園へいくさいに、安楽寺の前をとおったのですが、写真を撮っていないのでGoogle mapのストリートビューを確認してみます↓

f:id:regenerationderhydra:20200905084516j:plain

岬ノ山公園から北東へ約140mいった場所に安楽寺はあります。

 

安楽寺の場所

福岡県北九州市若松区古前1丁目22

座標値:33.893607,130.797595

 

ストリートビューを確認すると、たしかに安楽寺の境内に地蔵菩薩がまつられているようです。

 

では実際に岬ノ山公園へ歩をすすめます。↓下の写真は岬ノ山公園を北東側からながめたものです。住宅地をぬける小路の先に岬ノ山公園がある小山がみえます。

f:id:regenerationderhydra:20200905085546j:plain

↓みにくいですが、地形図に赤い点線で岬ノ山公園へいった軌跡をしめしています。車の通れない細い道をとおって北東から岬ノ山公園へとアプローチしました。

f:id:regenerationderhydra:20200905085700j:plain

山の斜面に古い家々が建てられています。その家をぬうように小路がはしっています。北九州市若松区で古い町並みがのこっている場所には、ところどころこのような風景をみることができます。洞海湾のすぐそばまで山がせまっているために、斜面に家を建てる必要があったのでしょう。

f:id:regenerationderhydra:20200905090213j:plain

岬ノ山公園へとたどりつきました↓ 遊具やトイレ(電気もついている)もあり、手入れがされていてきれいです。しかしあまり利用するかたがいないのか、雑草が繁茂し、遊具やベンチはその雑草にうもれてしまっていました。f:id:regenerationderhydra:20200905090715j:plain

 

f:id:regenerationderhydra:20200905090948j:plain

岬ノ山公園の北側にある正面入り口から、公園全体を眺めてみます↓

f:id:regenerationderhydra:20200905091317j:plain

公園から南側にひろがる洞海湾と皿倉山を眺めます↓

f:id:regenerationderhydra:20200905091554j:plain

公園から西側へのびる国道199号線をながめます↓ 右側にみえるのは標高302.5mの石峰山です。

f:id:regenerationderhydra:20200905091708j:plain

西側をながめるための展望所↓

f:id:regenerationderhydra:20200905093047j:plain

公園から北東側をながめます↓ 洞海湾の奥に若戸大橋がみえます。

f:id:regenerationderhydra:20200905092044j:plain

このように見晴らしの良い場所に、昔は墓地がつくられていたのですね。

 

最後に正面入り口から公園からでました↓ 雑草や落ちた枝などで荒れはじめていましたが立派なつくりの公園でした。

f:id:regenerationderhydra:20200905093319j:plain

損ヶ熊(そんがくま)古墳 福岡県宮若市原田

青空に映える「損ヶ熊(そんがくま)古墳」です。Google mapで宮若市近辺の古墳をさがしているときに見つけました。マップに「古墳」は掲載されてはいるものの、その多くは野山にうもれてしまっており、損ヶ熊古墳のようにきれいな形の古墳をみつけるのには骨がおれることだとわかりました。

 

損ヶ熊古墳は西暦500年末から600年初頭につくられたとされます。宮若市内の古墳で装飾古墳なのは、この損ヶ熊古墳と竹原古墳です。

f:id:regenerationderhydra:20200905045939j:plain

 場所:福岡県宮若市原田

座標値:33.729142,130.637696

 

f:id:regenerationderhydra:20200905050111j:plain

損ヶ熊古墳の奥壁には、↑上の写真のような「封鎖・閉鎖」を意味する格子状の幾何学模様が描かれています(参照:案内板)。

 

↓こちらは石室の平面図と断面図です。

f:id:regenerationderhydra:20200905051234j:plain

f:id:regenerationderhydra:20200905051514j:plain

この入り口の向こう側に、羨道(えんどう)→前室→玄室と続き、玄室の奥壁に格子状の幾何学模様が描かれているのですね。

 

損ヶ熊古墳周辺には他に12基の古墳があるということです。

 

 

 

f:id:regenerationderhydra:20200905050205j:plain

それら古墳群の一部を形成していたといわれる石が、草むらのなかにころがっていました。案内板によると、”損ヶ熊2号・3号墳の石室を形成していた石材の一部”ということです。

f:id:regenerationderhydra:20200905050415j:plain

現在では↑上の写真の墳丘以外は、墳丘らしいものはみあたりませんでした。周囲は田んぼと草原となっています。平成5~7年度の調査後に、古墳は解体されたということです。

 

古墳周囲は膝高ほどの雑草が多い、草をかきわけながら墳丘まですすんでいくという感じでした。駐車場はないために、付近の農道に車を停めさせていただきました。